それほど思いが強いのになぜ詠めないのか才人なのでしょ?
近頃、目にしなくなりましたが、素晴らしい作品との出会いを求めて「俳句、短歌」で検索していた頃は「九条俳人」だの「九条歌人」だのと自称する方が目立ちました。
わたしは食えないそれは素人の趣味という考え方でありますから、彼らを文化人とも見ていないのですが、それは、わたしの勝手な価値観であり、彼らは自身を文化人と思われているのでしょうね多分。
あの、昔から芸術に関わる人は政治に偏ってはいけないと警告されていた記憶があるのですけど、いかがでしょうか?
一度色がついてしまうと、なにをどうつくろったって色眼鏡で見られるからいけない。
どんなに傑作であっても人目に触れる機会さえ失う可能性があるからいけないと先人は言い残していたはずです。
ご自身だけなら世間が許す範疇で勝手にすればいいと思いますけれど、お弟子さんなどをかかえた方が政治活動なんてしてもいいものなんですかね。
また、お弟子さんご自身もどのようにお考えなのでしょうね。
同じ色として見ますけどね、わたし。
- 反戦じたいに左右も色もないでしょう。
- これは万人のおもいでしょう。
なぜ、そのみんなの願いをツッコミどころ満載の「九条」に集約して叫ぶのかがもうね。
本気で反戦平和を希求するなら、議論の余地は一つでもなくした方がいいわけでして、ここはあえてスルーすべきではないのかとさえ思いますけれど、おかしいですか?
わたしは、こんな方たちを文化人としても平和の使者としても信用しません。できません。
それがさ、俳人、歌人と呼ばれる短詩系に携わる方々が率先してその肩書に九条を冠するものだからおかしな事をされるものだなあと思いつつあいた口に飴玉を放り込んでは出そうな苦言を呑み込んでいる。
ご自身を文化人と思っておられるなら政治活動はやらないですよね。
やっぱり、現代俳人、歌人様は文化人もどきなのかなあ。
あっ、失礼。思い出しました。もどきじゃないよね。進歩的だ!進歩的だった!そう、進歩的文化人だったね。
そうそう、有名な現代短歌のおばあさんですが、誉め言葉に「進歩的」をけっこう多様していたイメージが残っています。
それにしても、公にたいして憲法うんぬんを叫びだしたら、しっかり塗り絵されちゃいますよねえ。
わたしのように現代俳人、歌人様は文化人ではないと見ている者ならスルーしてくれるでしょうけど、公安のお偉いさんがそうでなければ監視対象にされるのではありませんか?
だって、ご本人たちは社会に影響力があると自負されておられるようですし。(かわいそうだな、これ)
世間の敵は歌人の味方 自作を詠まずに選で荒ぶるマスコミの友
「日本は日本人だけの国ではない。」と言い切った元総理なら、まあ日本人から叩かれてもしかたがないかなとも思うわけですが、「アベ政治を許さない」と誇らしげにポスターを手にしてネットにあげられている俳句の爺さんとか、これどうなの?
いや何がって、よけいなお世話ですけど俳句の爺さんがかわいそうだろうと思うわけですよ。
俳句の爺さんの家族なり、側近なりが上手くいさめるなり、なだめるなりしてやらなければ駄目でしょう。
反戦まではいいよ。実際、戦地に向かわれてご苦労されておられるのだから言うべきことは言い残しておくべきだと思います。
でも、そこに「アベ政治を許さない」なんて入れたら、入れさせたら駄目でしょう。
物書きなら、口は閉じたまま筆を止めずに反戦俳句なり、反戦短歌を詠みつづければよろしいのに筆を止めて声ばかり大きくなるのだから、どうしてもその存在に違和感を感じてしまいます。
俳人、歌人、いいえ社会活動家のプロパガンダですよね。
もしも仮に、この先戦争がおこったとしても、戦争=安部総理ではなくて、戦争=世界の事情のようですけれど?
安部総理の理想や意思(事情)だけで開戦とか(国運をかけた一大事)できるなら、とっくに「美しい国」になっていますよね。
ことわっておきますが別に安部総理を擁護しているわけではありませんよ。こんなバカが必死に擁護したら安部総理はバカにしか支持されていないとかネタにされるだけでしょう。
とにかく表立って政治家批判なんてさせたら完全に色がついてしまいますよね、本人の意思なのかどうかはわからないけど晩節を汚してしまわれているよなあ。
これ、ご本人もだけど周辺の人間も世間の信頼を失うよね。
なんだかなあ、狭い世界でしか生きられないのかなあ現代俳人、歌人様。
色がついたらおしまいですよ。
反戦歌にだっていろいろあるさ。そんな嫌なら自作を詠みな。
- 戦争を憎む心と兵隊を憎む心を混ぜるな危険
- なみだなみだ聞くもなみだのものがたり目を赤くしてこころ空っぽ
- ザリガニや米軍基地はぱあのデモ
「詠めずに死ねるか。」そんな気迫と気概がほしいよねえ。創作者を名乗りつつ社会運動に興じる無才ってつくづく哀れだ。
新聞俳歌壇の選者って他人の作品に隠れて間接的にお国批判とか、やっていることが姑息と言うのか人としてあまりにも小者すぎて情けないので自作でガツンとかましてほしいです。
ほら勇気をだして、才能なんて気にしなくてもいい。無いものはないのだから仕方ない。後のことは盟友にまかせておけばなにも恐れる事はない。
どんな愚作でさえ発表すればマスコミの面々が傑作と持て囃してくれるでしょうにね。
投稿者よりしょぼい選者ってなんだよな。
先生の反戦歌(句)を拝見して感動を覚えた事がきっかけとなって詠みましたとか言わせてあげるのが選者のつとめだよなあ。
もう一度書いておくけど投稿者の影に隠れていきっている選者ってなんだよ!?(立場が不利になった瞬間から選者は何が何でも褒める者と言って逃げ切る気満々だよな。)
左側に振り切った今と言う時代を象徴していると言えば言えなくもないわけだけど、ひどいもんだよなあ。
※上記はあくまでも個人的なイメージです。過去のではなく最近の新聞選者様の名反戦歌(句)などありましたら教えてください。
心からあやまります。
おまけ
キャリアなんてどこでもよかった。その時スマホが必要だった。
3gsを発掘しメモをすりすり。
さすがに、やばいと感じた時期だったのですね。
2009「ザ・ミンス」
- 悪巧みカンカン帽の裡にあり
- 泥船の船頭踊るどぜう鍋
- 剛腕や寄せ鍋の具をぶちまけり
今思うと、俳句はちょくちょく手をつけていたんだな。
(川柳は苦手、なぜか無理。)
やばい、散々政治色とか書いたわたしも自爆しています。
堪忍してくだせえ、堪忍してくだせえ、極左のみなさんって、おもしろネタなだけですから、堪忍してくだせえ。
関連記事:新聞歌壇の楽しみ方