CD ¥3200円時代 3割超えたらがぜん買いたくなるのです

2017年4月25日

世間話 短歌





三割へのこだわり

「契約交渉」


球団:「契約金値上げ交渉の評価基準は三割からだ。お金を出させたければ三割目指すんだ。」


なんとなくですが上記のイメージが強いです。


それほど過酷な世界で戦っているスポーツではありますが、正直テレビでの野球観戦は好きではありません。


理由は「野球放送延長のため。」これのおかげで過去に何度F1のゴールシーンを見逃したかわかりません。


おかげで野球放送は大嫌いになりました。


今は同じ理由でバレーボールも嫌いです。ただ、もう何年も前にテレビは我が家から廃棄処分されてしまいました。


ありがとう。そして、さよならフジテレビ。

80s CD購入のきっかけはいつもテレビからだった.


わたしの青春時代はCD一枚が¥3200円しました。


当時のメインコンテンツだったレコードとカセット(生テープだっけ)¥2800円だったと思います。


比べるものとの差額は¥400円。


レコードと比較すればその名のごとくコンパクトサイズにして何度聴いても切れたり、削れたりといった劣化の無い最新媒体。


気になるノイズもなくてヘビーローテーションもへっちゃら。これが購入動機として大きかった。


なぜならカセットデッキのカウンターを目視しながら、手動巻き戻しをしないで、同じ曲をカセットテープで聴くにはオートリバース機能があるカセットデッキが必要でした。


オートリバース機能は便利でしたが、それでもいちいちテープの巻き戻し作業に時間を費やします。


この工程をあまりに繰り返すと伸びたり時に絡んだりしてテープそのものの劣化をまねきダメにすることもありました。


最悪なのは犠牲になるのがテープだけではすまず、カセットデッキ本体がギヤ欠け、ゴム切れをおこす原因にもなりました。


そんな不安と哀しみから解放してくれたのがCDでした。


現役期間中、CDは上記のようなリスクを一切排除してくれました。そんなわけでお金持ちではありませんが、一枚3200円が高額な気はしなかったんですよね。

のりのりの電波時代


当時のCMタイアップ曲は=ヒット曲でした。その中でも化粧品メーカーさんから流れる曲には相当刺激されました。


しかし現実はそんなに甘いわけではありません。その一曲を聴くためだけにCD購入とはなりません。


なぜなら、テレビを点ければベストヒットUSAがありました。我が家にはビデオデッキもありました。


ラジオを聞けば、週末はランキングチャンネルがありました。


当時のわたしはなぜか、予約録音、録画機能を信用できない自分でしたので、週末はCDラジカセの前にはりついて番組が始まるのを待っていました。


やがて、二枚目、三枚目とシングルカット曲が売り出されるとわたしの感性を刺激しつつラジオのランキングを上げていくバンドたち。


シングルカット
三枚目キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!


こうして購買意欲は盛り上がっていくのでした。


最初期のCDアルバムだとバンドによっては全8曲とかもありましたが、当時のCDアルバム収録曲数のほとんどは10曲入りでした。


よほどのお気に入りバンドでないと、8曲入り3200円はさすがに躊躇してしまう自分がいましたが、10曲入り3200円ならヒット率で財布の口を開ける自分がいました。


ファーストシングル曲が特別お気に入りになった歌手やバンドのセカンドシングル、サードシングルには「よし二曲目もいい。次だ次、三曲目ヒット来いオラー」なんてけっこう期待していました。


いよいよ収録曲の三割がアルバムのヒット曲になったところで近所のレコード屋さんまで買いに走った青春時代。


日給6,7千円のアルバイト代から3200円の品物を購入するわけで、苦役の代償として購入目的となる満足度(実用度)最低三割基準はこの時代から培われていった。


購入条件を満たしたCDは七色の輝きを音色に変えてしばしの間わたしのこころを空の彼方へ遊ばせるのでした。

句集と歌集は編むから売れない


現代句集、歌集に収められている平均句歌数はどれぐらいか?


エッセイや写真とコラボとか言うブログ俳句、ブログ短歌を切り抜いて紙使用にしたようなせこい企画物を除外すると俳句、短歌だけの純粋な句集、歌集の収録句歌数は300から500前後が大半でした。


間をとって総句歌数400前後が一句集、歌集の平均収録数ですね。


その総数の三分の一130歌数以上のヒット作が収められて歌集の消費ラインですか、そうですか、大変だ。

そもそも現代歌人様の歌集には一冊あたりどれくらいの数が万人好みの秀歌としてあるのだろうか?


歌集の帯におすすめぽく二三首くらいは刷られているけど、その程度なのかな。


その計算だと歌集を50冊だしても、秀歌の数は100から150首だよね。


そこからさらに名歌となると厳しいねえ。


ここは、「うるさがた」のみなさんが、連作についての講釈などされそうだから踏み込めないけど、こだわりと自尊心が邪魔すると歌集50冊分もの自選歌集を出すなんてほぼ不可能に近い話になるわけだ。


歌集の平均収録数の割合的には秀歌100以上のヒット作が収められた一冊しか買う価値はないのだけど、そもそもそれをオリジナル歌集にもとめることが酷と言う。


ええって事はつまり、しょぼい自称歌人の歌集を買うなら、秀歌率には大いに問題を残したままの、晩年かあるいは死後に編纂された自選集だけとなるのが結論かな?!


あくまで他薦ではなく自薦だから、好みは分かれるところだけどね。ちなみに自薦とは著者ご本人だけでなく、歌壇内の有象無象を含む。

自他ともにもとめているのは安打率


新品で購入した歌集なんて定番の啄木著「一握の砂・悲しき玩具」と茂吉著「赤光」だけです。


それも廉価の文庫版。


世間の評判に踊らされて買ったのは後にも先にも俵万智著「サラダ記念日」だけ。これは古本屋で中身を拝見してから買ったので三割基準をクリアした歌集ということです。


この三冊の中で「赤光」は微妙というか、はっきり言って読みたい歌集ではなかったが、インテリ歌人対策に魔よけの呪文として無下にはできなかった。


そんなわけで句集歌集の購入目安は自分の目と感性が第一です。


ブックオフなど最近は大御所現代歌人様をはじめ有名歌人様の歌集が100円から500円までの値札をつけたまま、づっと陳列棚に売れ残っていたりするので(まだあったか)と思いつつ、まず収められている巻頭歌と最終歌を拝見してから、歌集を半分に割ってささっと前後数首をチラ見して終了。


そのほとんどがつづきはもういいやとなって帰ります。


このような発言をすると「読み込まないとわからないのは当たり前だろ」と、おっしゃる方が量産されておりますが、名歌、秀歌とよばれる作品って教養がなくても一読こころにうったえてくるものが多いですよ。


・忍れど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで 平兼盛

・瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ 崇徳院

・筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる 陽成院

・花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に 小野小町

・玉の緒よ絶えなば絶えねながらえば忍ることの弱りもぞする 式子内親王



百人一首から拝借しました。


わたしは、上記の和歌など(いいなあ)と感じて短歌に興味をもちました。


高高度な読みや、解釈を拝見しても、(うぜえ、めんどくせえ)が正直な気持ちです。


この反応ってバカだから、バカ限定の思いなのでしょうか?


それなら、それでもかまわないのですが、うたってそんなに小難しいものなんですかね。


「なにもかも見透かしたように語る知識人は勘弁。(おまえが一番わかっていない。)」詠み手側の気持ちとして、どんな読者がもっとも嫌かと訊ねられたら、こころある方は、こう応えるのではないだろうか?


好きな女(男)に恋心をぶち込んでいるだけなのに、人生の全てがデータで出来上がっているガリメガネに答えありきの解析なんてされたくないよね。


ガリメガネは恋人と言うより種馬として価値があるわけで、どうしたって解釈には無意識の自我が投影される。


無理して恋人心理など語らず、種馬心理をうたに重ねてくれるのならその解釈にも多少の価値が生まれるのではないだろうか?


とにかく各種読みについて「小難しく語ってんじゃねえよ」と思う人がいたとしても、類友感情抜きに、わたしはその人をバカとは思わない。


あなたは俳句、短歌に推理とサスペンスを求めますか?



わたし教養も学歴も否定はしません。お金と同じくあって邪魔になるものとも思いません。


バカよけの魔除けになりますもん。


現代俳人、歌人様、わたしなんて恐れ多くて近づけません。


でもね、謎解きをしたいわけでも、しているわけでもありませんから。


作者は読者に何をもとめて詠んでいると思っているんだと冷たい笑みを浮かべてしまうではありませんか。


歌集の帯に、「ぼくの心を紐解いてごらん。できるものならね。ふっ」
なんてモテモテ目線で書かれていたら発奮して蘊蓄王を目指す方もいるだろうけど、面倒な奴なんて愛されないよね。(めんどくせえ。)


そんなわけで、初歌から、つらつらつらっと読める短歌。


あるあるとか簡単とか幼稚な単語を連想するでしょうが、それを作品化するのは大変な技術力を必要とするんですけどね。


技巧の見えない作品と呼ばれるものです。


誰にでも共感され、それでいて巧いと言われる。


読めば読むほど読み込むほどに、こんな短歌を自分も創ってみたいと読者に思われる。


そんな作品が三分の一以上を占める歌集と巡り会いたいものです。



インテリ推奨作品って疲れるんだもん。



字余り字足らず自由律も中にはあるでしょうけど、基本たった三十一文字の作品群で疲れさせるって、どれだけ破壊力があるんだよ。


一般人の脳ではなくHDD相手の歌集だよね。


とてもじゃないが買う気になれない。

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