防人スピリット 先ずは守備から固めよう。
Welcome to the Jungle
どこの誰だかわからない男と女が行き交う都会。
路地に迷えば犯されて、たまに死体とご対面。
自由の国が切り開く光と闇の大共演。
映画の世界を抜け出して、やって来ましたカウボーイ。
階段を下りて来る人、上る人。
よく見れば、神様そっくりだ。
悪魔に似たのもやって来た。
おや、あれは天使のようだ。
あいつら全員「死」じゃないか。
外国語表記が増えていく駅の看板。
外国語表記が増えていく道路標識。
走り抜けていく透明な時間。
エンドロールを見ているようだ。
走り抜けていく透明な時間。
エンドロールを見ているようだ。
出版を考えない世界
出版。そして印税暮らしへの希望はコアなマニアに委ねるとしまして、現実には、アフィリエイトそれに近いなんらかが理想に近いようです。
Googleさんのポチしてもらうと収入になるものがありますよね。
何を今更感が全開ですが、これいいですね。
本一冊の印税は作家の質によって定価の5%から10%前後だそうです。
定価1000円なら50円から100円。
一万冊売れて50万円から100万円ですか。計算を間違っていませんか?
以後、尻すぼみの収入がこれです。
句集、歌集のベストセラー
調べてみましたが基準はいろいろあるみたいで、これという決定版はみつけられませんでした。
- 俵万智氏の「サラダ記念日」は桁違いで別格です。
- 黛まどか氏の「B面の夏」は、たしか出版部数6万冊は句集で異例のベストセラーと宣伝されていました。
二氏以降の現代俳人、歌人は本当に知りません。(こちらから調べなければいけない方は要りません。)
ネット営業されている方の名は知っていますが、ベストセラー俳人、歌人様ではありませんね。
違っていたら、ごめんなさい。心からごめんなさい。
とにかく10万冊も出版できたら小説家でもベストセラーと言ってもらえるようですから、それよりマイナージャンルの句集、歌集なら、数万冊でベストセラーは間違いないでしょう。
先ほどの計算ですと上限10万冊でも500万円から1000万円です。
貧乏臭しかしませんね。無関係だけど、なんだか残念です。
これを最低でも毎年続けて5、6年達成すれば、俺すげえと自画自賛してもよさそうですが、こりゃありえませんな。
そんなことなら句集、歌集の出版なんて本当に応援してくれている方の為だけに私家版で作って、最低でも一般句集、歌集の4、5倍の定価をつけて売りますね。
そしてマニアの怒りをかわないほどに手をくわえます。
手作りでこだわりまくりたいとおもいませんか?
だってさ、自分が一番の自分マニアじゃん。
買ってくださいより、「てめえ、ふれるんじゃねえ。」って気持ちを全面にだしてやる。
そういうことで、物にもよるようですが、Googleさんのポチっとするやつ。
Google AdSense
他それに類似するサービスとの共生は理想的な気がします。(いや、お恥ずかしい。出遅れも甚だしいですけど・・・・・・)
だってさ、1ポチ単価が本の定価によっては出版印税と差がなくなる可能性もあるのでしょう。
あほくさくて出版屋を意識して句集や歌集を編もうなんて思わない(もともと売れないし。)
これいいことだよね。
一時期はネット文学にもアフィリエイト的なものにも否定的なイメージを抱いていましたが、これはもう、コンテンツの質と手段によりますね。(今更感まるだしで恥ずかしいです。)
良い情報、良い作品を提供していただいた報酬としてポチする行為は否定したり、拒否したりするものではありません。
もちつもたれつの良い関係が保てそうです。
作品も売り込まれている商品も気に入られなければ無視されるだけですし。
出版関係のプロの目を通さないものなんて所詮ゴミと言う意見は当然ありますし、ごもっともな指摘は沢山あるでしょう。
でもさ残念ながら出版関係さんは衰退しているのでしょう、死にかけの世迷い事も沢山あるよね。
どちらの言葉も参考にするべきです。
ただね、これからを担う実力者は、死にかけを延命させたりせず、おもいっきり読者を意識する方向に向かうべきだと思います。
これ、読者におもねるという意味ではありません。
余計な組織に絡むと介護疲れしちゃうよ。
不動のロールスを磨くなら、最新のスズキにでも乗って軽快に先へ進まなきゃ。
書いて生活する。この単純明快なシステムを提供しているのは、もはや出版関係ではないような気がします。
出版社提供のネットなんとかもあるようですが、掃きだめに溺れそうで怖くなる。
盗人に追い銭 自作への権利意識はもちましょう。
わたしなんてと卑下してはいけないのが自身の著作権です。
下手な奴ほど過敏だったりするので、感じが悪いのですけど、常に意識していた方がいいです。
短詩系は、よく指摘されるように、知らず知らず無意識に類想類句になっている場合があります。
これは、ある程度の人だと自身のプライドを傷つけます。
やる気スイッチをOFFにしかけないトラップなので気をつけましょう。
発表即パクられそう。そんな気がしませんか。
そんな時に頼りになるのが「特定しマスター」さんであったり「盗作Gメン」さんたちであったりします。
容疑者にされないように気をつけましょう。
そして彼らを信頼しましょう。
実力以上の待遇を受けていると見受けられる方に対しての風当たりは相当に強いようですが、一方で真に実力があると認めた方に対しては、腑抜けと罵倒されるほどの、いわゆる信者と呼ばれるようになる方も少なくないようです。
これについては、ふくむものは少なからずありますでしょうが、基本、気にせずちょくちょくと、彼らが閲覧してくれるブログ構築こそが作品保護につながりそうです。
過去の実績より即戦力
当たり前の事を今更と、ほとんどの方が言うでしょう。
そういう時代ですよね!
これはビジネスの世界だけに限定された話ではありませんよ!
どこの世界にも同じ事が言えると思います。
大きな文学賞を受賞しても一部の作家しか執筆だけでは食べていけないということは、すでに世間の常識になっていますでしょう。
それでも賞を追うんですね。
「今、追う。」なら応援します。
わたしも賞金額の大きい賞なら、書けるなら挑戦する。
*賞金だけが魅力だよ! 新人賞は毎年いらない
- 過去の実績にしがみついたまま、干からびてしまった幼虫。
「だまっていなさい!」だまったままなら、誰かの詩心を刺激するかもしれない。
口にするからよけい駄目になる。
それも過去の実績を、そんなもん基本ノーベル賞でさえ毎年排出されるんだからさ、受賞歴なんて生活に直結しないのは、誰よりわかっているのに、言えば言うほど、愚か者の烙印を押されるだけだろう。
「だから何。」が世間様の反応ですよ。
- 世間様が作者に求めているのは、数々の受賞に至る武勇伝ではなくて、更新されていく作品だろう。
受賞へのビクトリーロードを切り拓いてやっているつもりでしょうか?
ある老いぼれた作者の武勇伝を聞いたって、読んだって、勇者(作家)にはなれません。
その作者が時代を切り拓いていく作品を聞いたり、読んだりして、その過程を想像したり、技巧を自作に応用していきながら、時がきたら「いざ」ってなるんだからさ。
書けなくなったら終わり。