世は激しく動いておりまする。
どら猫が、うぉうぉうぉおおおとメス猫の首に噛みついて、へこへこ交尾している様子を目の当たりにしながら、かわいい女の子が初恋の人を想い、駆けていくシーンを作品にしたりする事があった。
ジャージ姿の女の子が体を折り曲げ、両膝に手をやって息を切らしながら上目遣いに彼を見上げる瞬間。
現実には、うぉうぉうぉおおおんとメス猫が怒りの咆哮をあげ、オス猫はへこへこ腰を振っている。
ああ、これでまた野良が数匹産まれるなあ「百発百中だね、しかし。」
なんて呟きながら、恋の矢がへし折れたところまでは連作がつづく。
また、ある日には散歩中の座敷犬が足にまとわりついて、ハァハァ、ハァハァ息を切らしながら、へこへこ、へこへこ腰をふったりしやがった時とか、そいつがオスならまだしもメスだったりすることも意外にあったりして、そんな時はへこへこ座敷犬を男装の麗人キャラに見立てて、歌劇団で踊るあの娘はバター犬だったみたいな妄想を、ヘこへこされながら考えていたりした。
道端に片方だけの靴なんて目に入ったらもうね、犬と言えば靴が好きというイメージが刷り込まれている世代からすれば、どんどん話が膨らむわけです。
座敷犬のヘこへこなんて、もう忘れていますよね。
てっ言うか、飼い主なにへらへら笑っているんだよ。
しまいには花粉をまきちらかして揺れる杉の木まで、へこへこしているように見えて、花粉を文字に見立てて届けたいけど届けられない恋文なんて発想から灰になるまでを下書きしてみたり。
花粉症に苦しめらているわたしなんて恋文ポストですよ。
もう頭の中がくすぐったくって、くすぐったくって、あほな恋歌を量産したくてたまりません。
全部、お墓まで持って行ってほしい。
「おまえだけ」って作品があったなら、誰にも見せずにお墓まで持って行ってほしい。
だから、わたしは「恋愛ごっこ」だけをしていたい。
「リアルな恋愛体験」そんなの訊ねること自体が無粋です。
語りたい人は語ればいいけど、語られた方はたまらない。
いっそ、遊んでやったと吹聴される方がすくいがある。
そもそも、大事な人や想い出を換金したくない。
そんなわけで、できるものなら弥生三月わたしは猫のお尻を目で追って、恋するみんなを騙してやりたい。
いたずらごころは創作の燃料です。
恋歌って、思い悩んで書くものではないよ馬鹿らしい。
人に語って生ぬるい世界に浸るのもよろしいですが、正直そんなの誰も興味がありません。
読み物としての完成度が問われるジャンルだと思いますので、うまさを追求した創作をしてみたいなあ。
「愛と感動」だって、そんなものダンボールの中を覗けば、そこにある「ミャーミャーミャーミャー」