昭和の少年たちは変身ヒーローに憧れて必殺技を叫びながらポーズをとった。
するとみんなが降参した。
令和を代表する歌人を志すのなら万人の心に響く名歌を生むことだ。
誰が言ったか「駄作の中に名歌は潜んでいる。」だそうです。
そりゃね、ごたいそうな肩書をぶら下げて、そればかり何年、何十年もつづけていれば人から評価されるものの一つや二つはできますよ。
できなければ給料泥棒あるいは詐欺師ではありませんか。
だけど秀歌一二首のために駄作ばかりの歌集なんて100円でも買わされたくない。
そんな駄作を水増ししなければ編めないような歌集ならばいっそ秀歌一二首を独立させて色紙にでも書いて売ったほうが大活躍してくれて利益率がいいんじゃないのかな。
わたしがこどもの頃なんて名句、名文なんかをデザインにした和食器とか普通に売っていたもんさ。
「仲良き事は美しき哉。実篤」とかね。
話題をもどすと色紙販売だとごたいそうな肩書はぶら下げずらいのですかね。
やはり一枚より一冊としての販売実績なのでしょうか。
古本の中に忘れられたままのへそくりを探しているわけではないんだからさ、完成度の高い歌集を出版していただきたいですよね。
代表歌をもたない結社歌人なんて必殺技をもたない戦闘員と同じです。
長く続く学歴社会なのですから絹糸のごとき学識で初心者さんを煙に巻き、時代を代表する文化人面をしている先生は存在するでしょう。
本物の才人なんて都合よく出現してくれないのが現実社会です。
- 架空の存在である方が不自然です。
そんな社会で伝統文化を維持保存そして次代へ継承していこうとするなら、その時代の各種権力にその責務を負わせてみようと考えるのは自然の流れであるでしょう。
そこで彼ら時代の成功者に興味さえもたせてしまえば、あとは彼らを羨望の的としている大勢もなんとはなしに伝統文化を知り、ある者は興味をもつことになる。
方法はいたって簡単。
一言で済ませるのなら「勘違い」させてしまえばいい。
あまり良いイメージのないマインドコントロールですが、これエリートに効果があるのはカルト教団が実証済みでしょう。
「君には才能がある。未来の俳壇、歌壇のためにも精進して下さい。」
↑相手が食えない俳句、短歌だとリアルに殺し文句なんだよなあ。
↑まんまとのせられたはいいけど二足の草鞋を履いていそうで、その実どちら側からも軽蔑され嫌われている人の方が多そうだよね。
趣味なのに偉っそうなんだもん。偉いよ。偉いけど、趣味じゃん。趣味でそこまで偉っそうな人は俳人、歌人ぐらいだよね。
ところで、秀才さんは努力の人ですからね。「才能」への憧れは人並み以上のものがあります。
パーフェクトな人材(ヒーロー)を自身の理想像とする彼らには上記程度の社交辞令でさえ効果覿面です。
これによって、後の先生は誕生し、先の先生はそれを芸達者な愛玩動物として飼えるのです。
エリート社会けっして悪いものではないと思う今日このごろです。
変身 エリート(権力)に才能(羽化)を望む愚かさ
そこに必要なものは才能に匹敵する影響力を持つ社会的権力であって、求めてはならないものが才能です。
上記に記したように、彼らの存在は才能の代替えとしてあるのですから。
彼ら自身が自己否定してしまうわけにはいかないのです。あくまでも求められているものは才能に匹敵する影響力を持つ社会的権力なのです。
故に彼らは才人の如く傲慢に見える。傲慢に振る舞う。傲慢になる。
ですが、それを不快に感じたり不満に思ったりするのは見当違いと言えるでしょう。
彼らは彼らなりに彼らの役割を果たしているにすぎないのですから。
むしろ人当たり良く、良識人と評価されている知識人にこそ我々は警戒しなければいけません。
知識人の傲慢は才能との等価として見ていい。
不快な存在であることに変わりはないが、これは世にいう必要悪と呼ばれる種のもので時代が動けば淘汰される。
当然です。時代が要請した存在なのだから、不要となればかならず淘汰しなければいけない存在でもあります。
惜しめば文化は廃れる。
文化芸術に情けを介在させて何が生まれるのか?
「欲」ですよ。
同士愛、師弟愛、短歌愛、いいや、そんな美しいものではない。
何かを惜しむ心の源泉には「欲」がある。
時が来れば苦も無くそれを断ち切るための道具として傲慢な彼らは選ばれた。
わたしは思う世の知識人よ傲慢であれ。文化人よ怯むな断ち切るそれは情けではない、「欲」なのだ!!
「壊れていいよ!」改造するなら洗脳が先。
仮面ライダー10人衆とか歴代戦隊ヒーローそろい踏みとか、おもちゃ会社がそれぞれのフィギュアを売りたい時にやりそうな販売戦略ですけれど。
変身ヒーローといえば悪の結社に拉致誘拐された犠牲者のほとんどが始末されるか悪の手先にされるなかで、主人公も改造されてしまうが奇跡的に人間としての良心を失うことなく、悪の結社から脱出してからは世に放たれた怪人どもと闘いつづけることで新たな必殺技を身につけてついには首領ともども悪の結社を壊滅させるという。
めでたし、めでたしの勧善懲悪物語が定番であったわけですが、はてさて選ばれた彼ら現代俳人、歌人様は先人が体験から学び時間をかけて培われた社会や文化を破壊する怪人(傀儡)なのか、伝統や民族的価値観を守護するヒーロー(大和)なのか、そもそも所属する結社は反社会的な運動に精を出す組織ではないのか、反社会的人材は所属していないのか、単純に公安の監視対象になっている人が存在していたらおもしろいだろうなと思ってしまう自分がいる。
だってわたし、怪人もヒーローもその出自は悪の結社が定番のスタイルとして成立していた世代ですからね、そりゃ期待します。
ここには書き出しませんが、*「九条俳人、歌人の会」に名を連ねる大御所様やら、その大御所様が運営される結社所属の幹部同人様の副業先(主に新聞俳壇、歌壇)など拝見していると色々と世の中のシステム、また物書きとしての生き様(事前のトラブル回避術)など理解できるのではないでしょうか?
ちなみに、あばら家に政党ポスターが貼られていることの多い(わたしの主観です。気を悪くされたら、ごめんなさい。)日本共産党さんが世間で嫌われるのは何故かなあと、むかしむかしに調べてみたら*現在も公安の監視対象であって、ああ、なるほど過去にいろいろとやらかしてんだと知りました。
そんな共産党さんの表向き一番の収入源が新聞赤旗だそうです。
寄稿されている有名俳人、歌人様もおられるので選者様のお好み(正確にはスポンサー様のですね。)が知りたければ寄稿されておられる号など一読をおすすめします。
- プロになりたきゃスポンサーの意思は尊重しなけりゃなりません。
あっ、わたし個人的には思想に罪はないと思っていますよ。
最終回 有望新人の「合同歌集」これって嬉しいものなのですか?
悪の結社の顔は怪人であって、それがヒーローなんてありえない設定にしていただかないと、途端にヒーローがせこくて、ショボい、使いっぱしりに落ちぶれてしまいます。
悪の首領に揉み手をするヒーローなんて最低ですよね。
そこは怪人蠅男とかでないと笑いもなく、説得力もなく、ただ戸惑いを生むだけで素直な子供は楽しめません。
つまりヒーロー不在の世界は後継者となりえる純真なお子様に愛想をつかされ滅びてしまいます。
ヒーローが絶えた世界に喜び勇んでなだれ込んで来る輩は、絶えた者とは価値観が正反対で相容れなかった悪意に満ちた穢れではないでしょうか?
とても恐ろしいことです。
悪の首領に揉み手をするヒーローを観て喜ぶお子さまたちなんて、見ているだけで未来への希望が失せてしまいますので勘弁してほしいですね。
昆虫の能力を身につけた同じ改造人間なわけだけど、怪人とヒーローの決定的な違いは、悪に揉み手をするか、手の平を返すかなんだから、本当に自力のある次代の才人には変わり映えのしない旧態依然とした金儲け、商業主義の手先にされることなく新しいビジネスモデルとして立ち上がっていただきたいものです。
「新時代に生きる才能(ヒーロー&ヒロイン)たち」なんだか、そんな合同歌集が話題になっていた頃があったけど、今もなお、どこの誰だか名前も知らない皆さんです。
作家にとっての必殺技は名作だ。それが無いなら週一使い捨ての怪人のように派手に爆死して記憶に残ろうとするものだが、爆音さえ聞こえてこない。
ようするにその実態は怪人にすらなれない非力な戦闘員だったというオチになるのだろうな。
唯一自分を知る結社内から離れることもできずに、今も偽ヒーローとして小間使いに明け暮れているのだろうか?
哀れだ。
いずれにしても平凡な若者を黒歴史に埋もれさせてしまったのだとしたら選んだ方たちは鬼だな、さすがは悪の結社の首領様だとそこだけは有無を言わせず感心させられる。
いやいや表舞台に出損ねたように見せかけているだけで、名もなき一般人、彼こそ、彼女こそ、怪人の親玉を倒し新時代の歴史を開く真のヒーロー、ヒロインかもしれないではないか?
ヒーローは、ヒロインは、わざわざ正体を明かして名乗ったりしないものだよね。
それって最終回のとっておきだもんね?そうだよね?
どう 変身してる?