(現場の有力者⦅主に理系⦆が散々いきって汚染させたあげく何を言ってんだか。そりゃないわ。)わたしならこんな風に思います。
物書きって嘘を生業にしている要素が強いので、とかく詐欺師臭を漂わせているものです。
「俳句、短歌が滅ぶのではなくて、あなたとその一派が滅ぶのですね。それならわかります。」なお根拠は、「あなたを知らない。」
なにを語るにもその世界の有力者を自任するなら底辺にまでその作品を認知させていただかなくては説得力が足りません。
やっぱりね、たった一冊の前例しかなくても大ベストセラー「俵万智著:サラダ記念日」という成功例がある中で、商業出版をして結果を出せなかったのなら、残念ながらそれが現状の出版社と、あなたの実力なんですよね。
俳歌壇の衰退を本気で危惧して、そんな大それた事を公言するなら、それに見合うだけの才能を有しているなら、自分の好みは別にして社会を引き付けておくだけの作品も提供しなければ、それは見放されますね。
その程度の才能は持ち合わせていないと、俳歌壇の衰退云々を語る資格はありません。
その程度の才能は持ち合わせていないと、俳歌壇の衰退云々を語る資格はありません。
俺たちを理解しろ。受け入れろ。俺たち最高なんて発想は勘違いした坊やの甘えですからね。
売れない理由はただ一つ「てめえに魅力がないからだ。」そしてそんな駄作が受け入れられないのは社会が賢明である証明にすぎない。
売れない理由はただ一つ「てめえに魅力がないからだ。」そしてそんな駄作が受け入れられないのは社会が賢明である証明にすぎない。
🏍=ブンブン、ブブブン、ブブ、ブブン、ブーブブ、ブーブブ、ブンブンブン===しょぼい平均の中であぐらをかいているんじゃないよ。
句歌集の初版発行部数は500部から1000部と書かれている方が多いですね。(正直言って信じられない。その十分の一じゃないのかな。これについては、信じていない。とりあえず複数の声というだけです。悪しからず。)
10000部も売れたら誉められたもんだそうです。
関連記事:過去の実績より即戦力
地方の市議(最低当選得票数1000程度)には元暴走族で手下の票数をかき集めて当選とかもいるようだけど、失礼ですが、それに通じるものを感じてしまう。
みんな選挙行かなきゃ学校から社会に出てもいじめはつづくよ!手下を利用して生きている人間の性根なんて死ぬまで変わらないからね。
どちらもそれがまかり通る世界にしてしまっているところが、いやらしい。
10000部も売れたら誉められたもんだそうです。
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地方の市議(最低当選得票数1000程度)には元暴走族で手下の票数をかき集めて当選とかもいるようだけど、失礼ですが、それに通じるものを感じてしまう。
みんな選挙行かなきゃ学校から社会に出てもいじめはつづくよ!手下を利用して生きている人間の性根なんて死ぬまで変わらないからね。
どちらもそれがまかり通る世界にしてしまっているところが、いやらしい。
本当に俳壇、歌壇の行く末を憂い、その現代俳人、歌人様が実力者なら公平公正なんて欺瞞は取っ払ってヒンヤリとした世界を構築していくのだろうけど自分に自信がないのでしょうな。その他大勢を文化人ぽくしておいて多くの中に安穏と潜んでいる。
なぜなら、その衰退論の発言もとに短歌と一蓮托生なんて壮大な説得力をもたせるだけの人知をはるかに越えた破格の創造主が不在なのですから。
仮にそれにちかいような存在が現れたとしても、やっぱりそれは、その時代を象徴する存在ではあっても短歌そのものの創造主ではないのだからね。
どっかで聞いたような言葉だけど歌人の数だけ短歌もあるわな。
当事者として「衰退論」を口にするような方は自身と同等もしくは、生涯をかけて自分と同等に達するか達しないか程度の人材を指導者として見ているのでありましょう。
彼らは彼らのいる世界から自分たちの世界を見ているけれど、世間は彼らのいる世界なんて見てはいません。(自分たちへの注目度が低いから滅びるとか口にする輩がでてくるんだろ。カルトか⦅笑⦆)
人は小さな世界に可能性は見ない。
可能性の大きさがあまりにも違います。
現状の俳壇、歌壇には周辺が創造主と見まごうほどの実力者は不在なわけですから俳句、短歌は規模の拡大縮小はあるにしても大衆が在るかぎり不滅の大衆文学でありつづける。
そもそもMr短歌なんて象徴的な存在をもっとも嫌うであろう現代歌人様たちが破滅的な短歌の行く末を口に出す事がおかしいのですけどね。このような存在を受け入れられない人たちの集まりなのに、どうやって滅ぶのだかねえ?
歌人なんていくら消えたところで、日本人が絶えないかぎり短歌が滅ぶことはないんだよ。
ただ文化人になりたい想いを拗らせた輩が、大衆文学にしたくない。一部の成功者である自分たち現代の貴族による貴族の為の高貴な文学にしたいと勘違いした選民思想をもって必死になっているだけでしょう。
文化芸術を個人の所有物かなにかだと思い違いをしているのだろう。
結論 現状では俳句、短歌は滅びない。
なぜなら、その衰退論の発言もとに短歌と一蓮托生なんて壮大な説得力をもたせるだけの人知をはるかに越えた破格の創造主が不在なのですから。
仮にそれにちかいような存在が現れたとしても、やっぱりそれは、その時代を象徴する存在ではあっても短歌そのものの創造主ではないのだからね。
どっかで聞いたような言葉だけど歌人の数だけ短歌もあるわな。
当事者として「衰退論」を口にするような方は自身と同等もしくは、生涯をかけて自分と同等に達するか達しないか程度の人材を指導者として見ているのでありましょう。
彼らは彼らのいる世界から自分たちの世界を見ているけれど、世間は彼らのいる世界なんて見てはいません。(自分たちへの注目度が低いから滅びるとか口にする輩がでてくるんだろ。カルトか⦅笑⦆)
人は小さな世界に可能性は見ない。
可能性の大きさがあまりにも違います。
現状の俳壇、歌壇には周辺が創造主と見まごうほどの実力者は不在なわけですから俳句、短歌は規模の拡大縮小はあるにしても大衆が在るかぎり不滅の大衆文学でありつづける。
そもそもMr短歌なんて象徴的な存在をもっとも嫌うであろう現代歌人様たちが破滅的な短歌の行く末を口に出す事がおかしいのですけどね。このような存在を受け入れられない人たちの集まりなのに、どうやって滅ぶのだかねえ?
歌人なんていくら消えたところで、日本人が絶えないかぎり短歌が滅ぶことはないんだよ。
ただ文化人になりたい想いを拗らせた輩が、大衆文学にしたくない。一部の成功者である自分たち現代の貴族による貴族の為の高貴な文学にしたいと勘違いした選民思想をもって必死になっているだけでしょう。
文化芸術を個人の所有物かなにかだと思い違いをしているのだろう。
鳴くなインパラ鳴くなヌー
- 日がな一日、草原にたむろし、敵に襲われると、ただただ逃げ足が速いだけの彼らはお金で買えない絶滅種でもなく、絶滅危惧種でもありません。
- 頑張って生きた褒美に特別視されるような存在ではなく、もっとも脚光を浴びる瞬間は生ではなく、むしろ凄惨な死に見出される餌でしかない。
- 世の同情に欠ける時の権力者に、その弱さと哀しみを提供することで保護され、飼われることにより安楽な生活を得たペットでしかない。
そもそも鳴き声が違います。たとえ死んでも、お金を出せばかわりの見世物(慰み物)は買えます。
現代俳歌人様とはまあ、そういうものです。
最低水準の俳句と短歌 辞世のうたから始めます。
インターネット俳人、歌人が軽蔑されていた最大の理由は、自称「俳人」「歌人」を安易に名乗っていたからだろうね。
自虐といえば自虐だし、その勇気に乾杯なんて思わなくもないけれど、やっぱり恥ずかしいとか感じないのかなと彼らの感覚に違和感をおぼえた。
いくら名乗るはタダ、芸術の価値は人それぞれでどうこうだからと定番の逃げ口上を準備したって、ある程度の実力が伴わないとやっぱり恥ずかしいでしょう。
「現代俳人、歌人様どれだけなめらてるんだ。」と思いましたもん。
器量の大きさをアピールしようとされる方もおられるでしょうけど、そりゃ無理です。
名乗らせては駄目な水準はある。
現代俳人、歌人さま不甲斐なさすぎ、威厳なさすぎです。
好々爺が悪いなんて言いませんけど、さて、わたしにもそのやさしさはおすそわけされるのでしょうか?
お粗末さまです。どうぞ。
黒焦げの電脳歌人
響く雷
辞世はすでに稲妻と化す
先ずは辞世のうたからと考えていました。三行分けに特別なこだわりはありません。
読み易さ優先です。
わたしがブログでやりたかった、もう一つのこと
「想像してごらん。汚いおっさんを」
(このタイトルで恋愛ものを量産してみたいです。)
こちら爽やか篇
- 古の恋文抱き亀鳴けり
- シーソーに一対二かな秋の空
- 恋心加速して行く秋の坂
- 秋の橋渡り切ったら恋敵
- R15の看板倒し暴風雨
こちら猟奇篇
- 毛皮脱ぐ無毛症の強姦魔
- 熱帯夜屍姦の果ての夢の国
これをとりあえず連作化していこうかな
海原に円を描いて浮遊する
俺を見ていろ狂いたければ
う~ん縦書きにしたいなあ。
助けて盗作Gメン
まさか類想類句ないよね?!
俳句は怖いよなあ。
ただ、ネットのメリットに気づいた。わたしのブログというところが問題ではあるけど、沢山の人目に触れる機会はあるから、万が一があったら修正は早いな。
*あっそうそう俳句は「有季定型」これがあるから面白い。