この20年、現代短歌に興味を持つ事もなく、その期間に出現された現代歌人様から衝撃的な影響を受けるでもなく今に至るので、おそらく生涯この年代にご活躍された現代歌人様にはなんら関心を持つ事もなく過ぎていくのでしょうね。
今後、おもわず本歌取りしたくなるような秀歌、名歌に巡り会った時、それが彼らの短歌だったら感動です。
そのような驚きの出会いがあれば楽しいですね。宝探しに憧れた童心を思い出させてくれそうです。
小者化していく歌人。死んだらみんな仏様。
世に俳聖、歌聖という尊称がある。
まあ、そういうことです。
ところで現代を代表する存命歌人様を二人だけ選ぶとなったら、どなたの名が上がるのでしょうか?
メディアの仰せのままに、岡井隆と馬場あき子の両氏になるのでしょうかね。ちなみにベストセラー歌人様である俵万智氏は、文化部というよりは広報部と申しますか別枠です。
変節漢と侮蔑する人もいる岡井隆氏ですが、勇気と判断力他がなければ変節さえできないのですから、思想云々でご老体を責めるのはほどほどにされるべきでしょう。
だって同世代の方ではないわけですからね、それぞれが彼の意思を受け継ぐ、自分と同世代の者を見るのが正しい気がします。
気に入らなければ、世代間で手分けして、弟子ひとりひとりの歌稿をひねっつちまえばいいのです。できなければ素直に相手の素晴らしさを認めればいいだけです。
読者としては、できる作者が生き残ればそれでいい。
それはそれとして、師匠をこえられない弟子ってなんだろう。そんなの師匠の立場で接しているとストレスでしかないでしょうに。
そばにおいておくだけでも、とんでもない苦業だと想像する。
どんな世代が来ても俺をこえられる奴が現れない。へへんと悦に浸れないわけではないのだろうけど、まともな人間なら、そんな事で笑っていられるのは短期間だろうし、死後も延々と駄目な人に自分の弟子とか公言されるぐらいなら、生前に「君はわたしの気の迷い」と、大勢の前で冷たい息を吐いて、とどめを刺しておくわな。(いらねえし)
それを実行にうつさない仏心と自己犠牲の精神は立派だと思う。
人間ができていないわたしなどは、うっかり舌打ちをして暗黒面に堕ちたと感じた瞬間に、三途の川のやすしが猛スピードで心の淵を駆け抜けて往き、宙を舞う水しぶきの如き勢いで世間様へ唾を吐きそうです。
「おこるで、しかし。」
追記:令和二年七月十日岡井隆さんが死にました。合唱
「そんな発言は自分を貶めるだけだろ。」と考えるのが凡愚なのです。愚鈍にもほどがある。使えない奴になつかれるなんて、それを、はるかにしのぐ辱めです。死後も自分の名札に噛みついて、ぼろぼろにする蟲なんだからね。世論はそこをはき違えて人格攻撃をおこなってはならない。
殺生を批判されるのであれば、身も心も宗教にあずけて聖人との邂逅を夢みるが宜しいかと思うのです。
害虫は駆除が世間の常識です。貴重な文献を穴だらけにする蟲を見逃しにしておける文化人や研究者は、ほぼいません。
他人の耕した開墾地に群れるガンバッタ←(無才の努力家)なんて、その蟲と同じよ。
自分の手柄のように芽を摘むだけが取り柄のガンバッタ(選者)が文化人とは「笑止」でございます。
「才能がないから努力する」と言われると、えらく御大層に聞こえますけど、頑張って生きているだけの人だからね。その分野で名品を創造したわけでもなく、大記録を打ち立てたわけでもなく、発見や、発明をした変革者でもありません。せいぜい変革者の協力者です。
それが、また困ったもので、「努力の天才」とか言う架空の成功者を祭り上げるものだから、その多くが生涯をひたすら結果のでない努力に費やして、協力者たらんとする謙虚な人はわずかとなり、「我こそは」と成果の邪魔者になるのです。
これは、もう下級も上級も同じです。だって、全階層総合しての、人の世なのですから。
つまりね、彼らは特別ではない。生きている人は、みんな努力家なんだもの。
えっ、「努力の天才は実在していて、努力の尊さを説いている。」だって!確かに、おられますね。ええ、ええ、わかります。だって、「才能が全てです。」なんて応えて、好感度はどうなるでしょう。
大多数が持たないものを強調して語っても、反感を買うだけです。それが理解できているなら、大多数が自分と同じく共有するものを強調しますよね。
その結果、頑張って自分と同じ活躍の場に出現してくれれば、もともと無理をしている人なので、越えられない壁の向こうにいる者なら、油断さえしなければ手抜きをしていても負けません。(これを楽勝と言う。)
噛ませ犬は同じプロモーター(協会)が各所に出資して、繁殖させていたりするものです。
彼は言います。「努力です。努力こそが成功のカギです。」(ああ、めんどくせえ。)
でっ、本音はこう言いたいわけだ「邪魔するな!!」
次世代では外来種と交配した亜種が癌細胞の如く異常繁殖して、それらはイナゴにもまさる害虫となり、文献、文化を食い散らかしながら、全ての源泉につながる水脈までもチュウチュウと吸い尽くした果てに、何もかもを涸らせてしまいかねません。
そこで、飼い主の死後に野菜の味を知ったガンバッタが、野生化して家庭菜園から大農園に至るまでの被害をもたらす前に、益虫化が可能か、駆除が妥当か検討しなければいけません。
その飼い主が珍生物を好む昆虫マニアであったならば、犬猫でさえ引き取り手に困る現在、残された珍生物を快く引き取り、最期まで責任をもって飼ってくれる人は少数かもしれません。
とっ、なると、死を目前にした飼い主が善行をつもうと、引き取り手のないガンバッタを無責任極まりないお情けで世に放ってしまい、その行為は、お人好しな本種にとって死滅への一手にもなりかねないのです。
ならば事前に飼い主と共に葬ってやる事がてっとりばやくて最善策だと思うのですが、そこはガンバッタです。一見知的で人の心を楽しませる演奏能力は備えています。
芸を覚えたバッタ。芸をこなすバッタ。もともとは高級ペットを太らせる為の餌として飼われたガンバッタ。これは、たしかに物珍しい生き物です。
商売っ気にあふれた興行主が殺処分を惜しんで声を上げるのも無理はありません。
目覚めれば、興行主は想わぬ所に居たものです。あいかわらず学閥ヒエラルキーがしっかり構築されている現代歌壇などは、隔離施設として見れば理想的な組織とさえ思えてきます。
わたしは長らく現代歌壇はガンバッタを世に放つ悪の巣窟と見てきましたが、実はそうではありませんでした。
ガンバッタはここで生まれ育ったわけではありません。どのガンバッタもがんばる過程で集まって来るのです。
時には若葉の匂いを放ちつつ、時には腐葉土臭を漂わせ、彼等は自ずとやって来るのでした。
(しかしながら、これらに厳しい冬の時代はすぐそこにまでせまっているのでした。)
そうです現代歌壇は末期のガンバッタを一括処分するホイホイだったのです。
これは、あるべくしてある存在なのだと意識しないわけにはいきません。斎藤茂吉バンザーイ!!あんた、やっぱり天才や!!←(うろ覚えですが、学歴厨。)
現代歌壇、これはガンバッタが絶滅しないかぎり、死守存続させなければならない大切な大切な餌場であり、虫かごです。
ここでなら、繁殖場として異種交配の機会すくなく、同種交配も盛んになるのですから、願ったり、叶ったりです。
この唯一無二の害虫の楽園を堅守できるのはガンバッタをおいて他にはいない。
うたえ、おどれ、時には噛みつけガンバッタ。花鳥諷詠は環境テロリストにオルグされるために提唱されていたわけではないぞ!
ベジタリアンなんて糞くらえ、野菜の味より仲間の味を知るがいい。共食いまでが君らの使命。
そうれ、みなさん。総括・総括・総括・総括。そうれ、みなさん。総括・総括・総括・総括。
人の世を儚むなんて傲慢さ!きみらの世界はそこにある。けっして、こっちは見るんじゃないぞ。
死滅したって誰も困りはしないけど、がんばれガンバッタ、がんばれ、がんばれ、ガンバッタ。次の受賞の栄冠も、そのまた次の栄冠も、きっと君だよ。君しかいない。そのうち王冠だってほしいまま。
そうさ、君こそ現代歌壇に生きる王、その名もトノサマガンバッタ。
「怒りをぶつける対象ですらない。」なんて弟子もどき相手に絶望している余命があるなら、死後、調子にのらせないためと思って、「おまえは、何年やってんだよ!わかってねえなあ。使えねえ。」と自称弟子の顔に呑み残しの緑茶をぶっかけて、恥ずかしさを表現してみてはどうだろう。
うん。こりゃ死にかけにしかできない一子相伝の秘奥義だ。だけどこれこそ本来、伝統芸。やれるものなら、やったれ老いぼれ。
師弟関係を構築するうえでもっとも肝心な伝統芸を使えないから駄目なんだ。
ところが、まんまと言論封殺されていて、そんな理屈が聞き入れられる度量など、どこにもないわけなんだわさ。
やらかしたら人を人とも思わない外道だ、なんだと、罵られたあげくに世間様から葬られるのだろうなあ・・・・・・。
でっ、残った者は肥やしにもならない干からびたうんこちゃんになるまで、落とし穴と化した肥溜めの底から悪臭を放ちつつ、盲目の信者を人生の奈落へとつき落としていくのだろうな。
そんな事になるぐらいなら、せめて初めから「いらない」発言ぐらいはゆるしてほしいよね。
* そもそも、自分たちにやさしい世界を作りたい連中の為だけの、(自己)愛のツッコミなんて聞き流して、これを平気でやりこなせる本物の大人物が死滅しちゃっつている状態にこそ問題の根本があるのだ。
師匠的立ち位置といえば教祖様が連想されるぐらい、カルト天国日本になっているものね。教祖様は聖水をかけても、飲み残しの緑茶はぶっかけねえわな。
GHQすげえな!おい。(戦後の公職追放がいてえよ!いてえ。痛すぎる。いっそ、もう一回だけ公職追放やってくれないかな。)
・・・でっ、その師匠から、その弟子とも言えない弟子へと残念な組織は力なく引き継がれていくのです。
世間も世間だけど、糞みたいなループができあがっているんだな、これが。ただ、このループもいよいよ劣化激しく、ブチ切れそう。
中途半端に強度があると、中途半端に延命するけど、代替えなく粗悪品しかなくなれば、延命さえかなわなくなるのは必然。
今や、当たり前が理想となってしまう時代ですが、腹さえふくれたら何処の米でもいいのが日本人ではありません。安心、安全、美味しいご飯を家族仲良く、楽しく食べる日常風景とは、伝統文化が継承されていく未来とも重なる景色なのです。
だからこそ同族間での譲歩はとても大切になります。柔らかくって言う=(結う)がままだから扱いやすいと言う理由だけで、マニュアル管理された他所の田を優先して、頑固一徹言うがままにならない自然農法田は減反を繰り返しましょうでは、結果として代々手元にあった強度のある藁までも失う事態を招いてしまいます。
いざ、文化の危機に気づいた頃では人材は絶え、材料も搬入路も絶たれてしまっていて、同時に強度のある藁を柔軟にする知恵も技術も道具づくりも途絶えてしまっているのです。
そうして安物の米にならされていく独身層が増えていけば、そのうち空気も、土壌も、水質も毒にまみれた外国産の貧弱な藁しか入らなくなってしまい、年々劣化した縄しか結えなくなっていくのです。
見渡せば、本来あるべき藁(顔見知りの日本人)は次代へつなぐ縄にならないほど希少となり、すでに伝統文化を封印する縄(帰〇人、混〇児、売〇奴。)へとすり替えられてしまったものも多数ありますが、劣化したそれが目立てば目立つほどに、その封印も解かれる日が近づいているように感じます。
なぜなら、単一民族ならではの稀有な価値観によって、代々継承され育まれてきた歴史ある伝統文化を、母国を守護発展させるでもなく我先に見限った結束力のない縄(帰〇人、混〇児、売〇奴。)ごときが他国の間接統治者として文化等を縛り続けていくなど、その性分からして土台無理なのですから。
真実を知った国民の声はやがて荒れ狂う風神となり、嘘など瞬く間に風化させ、彼方に吹き飛ばすことでしょう、あるいは真実を知った国民の怒りはやがて炎のごとき雷神となり一閃、無益な連鎖など一刀の元に断ち切ることでしょう。
そのてん日本嫌い勢は、どこにでもゴリゴリ入り込んで侵食していくそうなので凄いと思う。
ただ文化侵略って困難そうですよ。その土地に縁もゆかりも無い者が支配しようと汚れた手で触れると、下手に劣化させて目立つ事もあるので、侵略先ではその世界の有力者を金で買うのが上策になるのでしょうね。
でも、その有力者が実力者でなかったりすると、これがまた下手に目立って、違和感を生むんですよ。大変だなあ。悪事も!!
そこは才能が求められる世界。(居てはいけない。でも居たい。)そんな毎日の葛藤の中で良心を麻痺させ、ただひたすら自分を認め、求めてくれる有力者を希求する凡愚。
これは他人の物を羨み、妬み、あわよくば奪いたいと狙っている悪漢に盛っておく毒としては最適な人材なのです。
これによって悪漢から才能が護られるなら、犠牲ともいえないささやかな生贄(えさ)です。(そもそも、いらねえし。)
これ↑あまりに数が多いと鬱陶しいが、一定数は必要なのだ。
「なぜ、あんな人が?」と思われる方が指導層に名を連ねたりしている場合があるでしょう。
あれはあれで、見る人に「今そこにある危機」を送るメッセージとなっているのです。
盛んに活動している間は、とてもおもしろいから目で追っていればいいのです。ただ、その場におさまろうとしたなら、人ひとりひとりの心の奥深い闇の中へと埋め固めてしまう事が見ている人みんなのお務めになるのでしょうね。
今はショック療法実施期間かもしれません。はてさて、どうなりますことやら、乞うご期待!!
*参照元Wikipediaより(一部はしょってます。詳細は各自ご確認していただければ幸いです。)
寄生虫はなつかない。師匠はたんなる飯の種
「そんな発言は自分を貶めるだけだろ。」と考えるのが凡愚なのです。愚鈍にもほどがある。使えない奴になつかれるなんて、それを、はるかにしのぐ辱めです。死後も自分の名札に噛みついて、ぼろぼろにする蟲なんだからね。世論はそこをはき違えて人格攻撃をおこなってはならない。
殺生を批判されるのであれば、身も心も宗教にあずけて聖人との邂逅を夢みるが宜しいかと思うのです。
害虫は駆除が世間の常識です。貴重な文献を穴だらけにする蟲を見逃しにしておける文化人や研究者は、ほぼいません。
他人の耕した開墾地に群れるガンバッタ←(無才の努力家)なんて、その蟲と同じよ。
自分の手柄のように芽を摘むだけが取り柄のガンバッタ(選者)が文化人とは「笑止」でございます。
「才能がないから努力する」と言われると、えらく御大層に聞こえますけど、頑張って生きているだけの人だからね。その分野で名品を創造したわけでもなく、大記録を打ち立てたわけでもなく、発見や、発明をした変革者でもありません。せいぜい変革者の協力者です。
それが、また困ったもので、「努力の天才」とか言う架空の成功者を祭り上げるものだから、その多くが生涯をひたすら結果のでない努力に費やして、協力者たらんとする謙虚な人はわずかとなり、「我こそは」と成果の邪魔者になるのです。
これは、もう下級も上級も同じです。だって、全階層総合しての、人の世なのですから。
つまりね、彼らは特別ではない。生きている人は、みんな努力家なんだもの。
えっ、「努力の天才は実在していて、努力の尊さを説いている。」だって!確かに、おられますね。ええ、ええ、わかります。だって、「才能が全てです。」なんて応えて、好感度はどうなるでしょう。
大多数が持たないものを強調して語っても、反感を買うだけです。それが理解できているなら、大多数が自分と同じく共有するものを強調しますよね。
その結果、頑張って自分と同じ活躍の場に出現してくれれば、もともと無理をしている人なので、越えられない壁の向こうにいる者なら、油断さえしなければ手抜きをしていても負けません。(これを楽勝と言う。)
噛ませ犬は同じプロモーター(協会)が各所に出資して、繁殖させていたりするものです。
彼は言います。「努力です。努力こそが成功のカギです。」(ああ、めんどくせえ。)
でっ、本音はこう言いたいわけだ「邪魔するな!!」
王道 学歴社会に生きる王子たち
次世代では外来種と交配した亜種が癌細胞の如く異常繁殖して、それらはイナゴにもまさる害虫となり、文献、文化を食い散らかしながら、全ての源泉につながる水脈までもチュウチュウと吸い尽くした果てに、何もかもを涸らせてしまいかねません。
そこで、飼い主の死後に野菜の味を知ったガンバッタが、野生化して家庭菜園から大農園に至るまでの被害をもたらす前に、益虫化が可能か、駆除が妥当か検討しなければいけません。
その飼い主が珍生物を好む昆虫マニアであったならば、犬猫でさえ引き取り手に困る現在、残された珍生物を快く引き取り、最期まで責任をもって飼ってくれる人は少数かもしれません。
とっ、なると、死を目前にした飼い主が善行をつもうと、引き取り手のないガンバッタを無責任極まりないお情けで世に放ってしまい、その行為は、お人好しな本種にとって死滅への一手にもなりかねないのです。
ならば事前に飼い主と共に葬ってやる事がてっとりばやくて最善策だと思うのですが、そこはガンバッタです。一見知的で人の心を楽しませる演奏能力は備えています。
芸を覚えたバッタ。芸をこなすバッタ。もともとは高級ペットを太らせる為の餌として飼われたガンバッタ。これは、たしかに物珍しい生き物です。
商売っ気にあふれた興行主が殺処分を惜しんで声を上げるのも無理はありません。
目覚めれば、興行主は想わぬ所に居たものです。あいかわらず学閥ヒエラルキーがしっかり構築されている現代歌壇などは、隔離施設として見れば理想的な組織とさえ思えてきます。
わたしは長らく現代歌壇はガンバッタを世に放つ悪の巣窟と見てきましたが、実はそうではありませんでした。
ガンバッタはここで生まれ育ったわけではありません。どのガンバッタもがんばる過程で集まって来るのです。
時には若葉の匂いを放ちつつ、時には腐葉土臭を漂わせ、彼等は自ずとやって来るのでした。
(しかしながら、これらに厳しい冬の時代はすぐそこにまでせまっているのでした。)
そうです現代歌壇は末期のガンバッタを一括処分するホイホイだったのです。
これは、あるべくしてある存在なのだと意識しないわけにはいきません。斎藤茂吉バンザーイ!!あんた、やっぱり天才や!!←(うろ覚えですが、学歴厨。)
現代歌壇、これはガンバッタが絶滅しないかぎり、死守存続させなければならない大切な大切な餌場であり、虫かごです。
ここでなら、繁殖場として異種交配の機会すくなく、同種交配も盛んになるのですから、願ったり、叶ったりです。
この唯一無二の害虫の楽園を堅守できるのはガンバッタをおいて他にはいない。
うたえ、おどれ、時には噛みつけガンバッタ。花鳥諷詠は環境テロリストにオルグされるために提唱されていたわけではないぞ!
ベジタリアンなんて糞くらえ、野菜の味より仲間の味を知るがいい。共食いまでが君らの使命。
そうれ、みなさん。総括・総括・総括・総括。そうれ、みなさん。総括・総括・総括・総括。
人の世を儚むなんて傲慢さ!きみらの世界はそこにある。けっして、こっちは見るんじゃないぞ。
死滅したって誰も困りはしないけど、がんばれガンバッタ、がんばれ、がんばれ、ガンバッタ。次の受賞の栄冠も、そのまた次の栄冠も、きっと君だよ。君しかいない。そのうち王冠だってほしいまま。
そうさ、君こそ現代歌壇に生きる王、その名もトノサマガンバッタ。
農業廃れて肥溜め余る。名歌を生まない結社はいらない。
うん。こりゃ死にかけにしかできない一子相伝の秘奥義だ。だけどこれこそ本来、伝統芸。やれるものなら、やったれ老いぼれ。
師弟関係を構築するうえでもっとも肝心な伝統芸を使えないから駄目なんだ。
ところが、まんまと言論封殺されていて、そんな理屈が聞き入れられる度量など、どこにもないわけなんだわさ。
やらかしたら人を人とも思わない外道だ、なんだと、罵られたあげくに世間様から葬られるのだろうなあ・・・・・・。
でっ、残った者は肥やしにもならない干からびたうんこちゃんになるまで、落とし穴と化した肥溜めの底から悪臭を放ちつつ、盲目の信者を人生の奈落へとつき落としていくのだろうな。
そんな事になるぐらいなら、せめて初めから「いらない」発言ぐらいはゆるしてほしいよね。
* そもそも、自分たちにやさしい世界を作りたい連中の為だけの、(自己)愛のツッコミなんて聞き流して、これを平気でやりこなせる本物の大人物が死滅しちゃっつている状態にこそ問題の根本があるのだ。
師匠的立ち位置といえば教祖様が連想されるぐらい、カルト天国日本になっているものね。教祖様は聖水をかけても、飲み残しの緑茶はぶっかけねえわな。
GHQすげえな!おい。(戦後の公職追放がいてえよ!いてえ。痛すぎる。いっそ、もう一回だけ公職追放やってくれないかな。)
・・・でっ、その師匠から、その弟子とも言えない弟子へと残念な組織は力なく引き継がれていくのです。
世間も世間だけど、糞みたいなループができあがっているんだな、これが。ただ、このループもいよいよ劣化激しく、ブチ切れそう。
中途半端に強度があると、中途半端に延命するけど、代替えなく粗悪品しかなくなれば、延命さえかなわなくなるのは必然。
今や、当たり前が理想となってしまう時代ですが、腹さえふくれたら何処の米でもいいのが日本人ではありません。安心、安全、美味しいご飯を家族仲良く、楽しく食べる日常風景とは、伝統文化が継承されていく未来とも重なる景色なのです。
だからこそ同族間での譲歩はとても大切になります。柔らかくって言う=(結う)がままだから扱いやすいと言う理由だけで、マニュアル管理された他所の田を優先して、頑固一徹言うがままにならない自然農法田は減反を繰り返しましょうでは、結果として代々手元にあった強度のある藁までも失う事態を招いてしまいます。
いざ、文化の危機に気づいた頃では人材は絶え、材料も搬入路も絶たれてしまっていて、同時に強度のある藁を柔軟にする知恵も技術も道具づくりも途絶えてしまっているのです。
そうして安物の米にならされていく独身層が増えていけば、そのうち空気も、土壌も、水質も毒にまみれた外国産の貧弱な藁しか入らなくなってしまい、年々劣化した縄しか結えなくなっていくのです。
見渡せば、本来あるべき藁(顔見知りの日本人)は次代へつなぐ縄にならないほど希少となり、すでに伝統文化を封印する縄(帰〇人、混〇児、売〇奴。)へとすり替えられてしまったものも多数ありますが、劣化したそれが目立てば目立つほどに、その封印も解かれる日が近づいているように感じます。
なぜなら、単一民族ならではの稀有な価値観によって、代々継承され育まれてきた歴史ある伝統文化を、母国を守護発展させるでもなく我先に見限った結束力のない縄(帰〇人、混〇児、売〇奴。)ごときが他国の間接統治者として文化等を縛り続けていくなど、その性分からして土台無理なのですから。
真実を知った国民の声はやがて荒れ狂う風神となり、嘘など瞬く間に風化させ、彼方に吹き飛ばすことでしょう、あるいは真実を知った国民の怒りはやがて炎のごとき雷神となり一閃、無益な連鎖など一刀の元に断ち切ることでしょう。
- 悠久の歴史と多種多様な文化をもつ国にあって、長く外国産に頼ることなく文化を紡いできた国産の意義や民族の心意気について関係性をアピールしなけりゃもったいない。
- 一景色として個人的には、もんもんちゃん(入れ墨者)より、外国人が担ぐ神輿に違和感を抱くぞ。
罠 どこを掘っても墓穴だよ
そのてん日本嫌い勢は、どこにでもゴリゴリ入り込んで侵食していくそうなので凄いと思う。
ただ文化侵略って困難そうですよ。その土地に縁もゆかりも無い者が支配しようと汚れた手で触れると、下手に劣化させて目立つ事もあるので、侵略先ではその世界の有力者を金で買うのが上策になるのでしょうね。
でも、その有力者が実力者でなかったりすると、これがまた下手に目立って、違和感を生むんですよ。大変だなあ。悪事も!!
そこは才能が求められる世界。(居てはいけない。でも居たい。)そんな毎日の葛藤の中で良心を麻痺させ、ただひたすら自分を認め、求めてくれる有力者を希求する凡愚。
これは他人の物を羨み、妬み、あわよくば奪いたいと狙っている悪漢に盛っておく毒としては最適な人材なのです。
これによって悪漢から才能が護られるなら、犠牲ともいえないささやかな生贄(えさ)です。(そもそも、いらねえし。)
これ↑あまりに数が多いと鬱陶しいが、一定数は必要なのだ。
「なぜ、あんな人が?」と思われる方が指導層に名を連ねたりしている場合があるでしょう。
あれはあれで、見る人に「今そこにある危機」を送るメッセージとなっているのです。
盛んに活動している間は、とてもおもしろいから目で追っていればいいのです。ただ、その場におさまろうとしたなら、人ひとりひとりの心の奥深い闇の中へと埋め固めてしまう事が見ている人みんなのお務めになるのでしょうね。
今はショック療法実施期間かもしれません。はてさて、どうなりますことやら、乞うご期待!!
種族と民族【さよなら先客また来て威嚇】
- 種族とは、共通の特徴をもった生物の集団を指す通俗的な用語。生物学では「種」。
- 民族とは、一定の文化的特徴を基準(土地、血縁、言語、宗教、伝承、等の社会的組織)として他と区別される共同体をいう。政治的集合体としての意識の有無とは関わりなく、同一の文化、習俗を共有する集団として認識される。
- なお、概念内容として普遍的基準を設けづらい事から、民族概念への帰属意識と言う主観的基準が客観的基準とされることもある。
*参照元Wikipediaより(一部はしょってます。詳細は各自ご確認していただければ幸いです。)
- ところで、(自分たちに)やさしい世界うんぬんを主張されているのは、国連人権理事会の方たちが主導で、その要求は日本人ではない人たちがごり押ししているそうです。
- ちなみに「United Nations」とは直訳すると「連合国」となり、国際連合「国連」とは誤訳です。
- 国連常任理事国にいたっては「戦勝国クラブ」と呼ぶ人たちがいる中でなぜだか戦後に建国された国までありますよね。アイヤー
- 日本は国連憲章の条文「第53条。第107条。第77条の一部文言。」において今なお敵国条項の対象国とされている。
- そんないじめっ子「国連」への上納金「分担金」支払額がづっと2位だったのが我らが母国NIPPONなのさあ。あはは、あはは
国際連合加盟国や地域安全保証機構は安保理決議なしで敵国条項の対象国「日本など」に軍事制裁できる。これって因縁つけて先手必勝が可能ってことでしょ。
侵略行為という前提があるみたいで、日本は侵略戦争を否定したご存知九条縛りがあるし、無意味と言えば無意味な条項だけど、だけど削除されていない。
これって、9条廃止=宣戦布告アル。と言えるのかな?
- 外国人の通訳ならわかるんだけど、外国人の代弁者ってなんだろ。馬鹿だから意味わかんねえ。
- 価値観を共有する日本人対日本人の対話にさえなっていないのになあ。譲歩するなら先祖代々日本人に対してだけだよな。憲法もそうだけど、自国の歴史や文化なんて特にね!!
いやはや世界は悪意に満ちておりますな。
ちなみに国の外交方針を対内外に公表する外交青書(外交白書に該当)で日韓関係を見ると、「自由、民主主義、市場経済の基本的価値を共有する最も重要な隣国」という2013年版までの表現は、2014年版外交青書では上記「」内の表現が短縮され、2015年版外交青書ではさらに「基本的価値観を共有する国」という表現は削除されて現在に至っている。
この事実を知る人が現代俳壇、歌壇にどれだけ存在していて、どれだけの人が、その内容の重さを理解しているでしょう。
だからこそ一部からは「民間文化交流」の重要性を強調する声があがるのでしょうけれど、これ国家レベルで「もう、無理。」と言っているようなもんでしょ。
民意を無視したご都合主義はいけません。
その政治家を選んだのは、その国の国民なんだしさ、これに関しちゃ互いにお国の意向(国民の意思)に従いましょうでいいんじゃないの。
文化人は意識しる
もともと無かった表現なら、なんら意識する必要もないのですが、過去通年にわたり有った表現が削除されているのです。
「基本的価値を共有する」と書かれなくなりました。←致命的じゃんね。
根っからわかり合えないという事でしょ。奪う者と奪われる者。叩く者と叩かれる者。わかりやすいと言えば、わかりやすい関係性です。
こんな二者が友好的な民間文化交流を築こうとするなら、どちらか一方が平身低頭で朝貢(みつぎものを差し上げること。)するしかありません。
↑
これを推進する個人や団体が、はたして信頼に足る存在と言えるのでしょうか?
議員先生が拒否されるのは当然として、多少なりとも世間に影響力をもつ文化人があとにつづくのは当たり前だと思うんだ、文化人を自称する現代俳人、歌人様も同様にね。
むしろ互いが互いを拒絶することによって同族からの信頼を得る対象でしょう。
当然ですが、好き嫌いや、ある特定の対象への憎悪心からの発言ではありません。
わかり合えない者同士なら関わらない方が精神的にも経済的にも幸せだし、何より平和的でしょ。
ところで、日本での離婚理由TOP10を拝見させていただくと、上位には性格の不一致と経済的問題が上がります。
ようするに「価値観の相違」ですね。
モテモテ国家で暮らしている自覚を持ち、ストレスのない生活を送りたいものです。