LGBTは社会問題にされていいのか

2018年11月29日

LGBT



一缶のビールから動き出す人生もある



きみはおっさん同士が互いの股間に顔をうずめて倅(せがれ)を慰め合う姿を見たことがあるのかと尋ねたい。


オーストラリア産ビールXXXX←(注FucKではない。)フォーエックスを手に話しかけてきた白人のおっさんから貰った一本を、その場で躊躇なく飲み干した。


警戒心の無いわたしに好感を抱いたのか白人のおっさんは、何やら喋りつづける。(おっさんのことは以後Pと書く。)


つづけざまに二三本呑んだ気がする。


その地に降り立ってまだ数時間しか経過していないわたしは今夜の宿をどうしようかと実はガクブル状態だった。


観光地で出会った外国人同士が話す会話内容なんて、よほど互いの言語が達者でもないかぎりほぼ決まっているので相槌を打つ程度でおわりになるのだけど、「今夜どうする?」と問われたわたしは「宿も決まっていない。」と応えた。


それなら、おれの車を見に来るかと会社を中途退職して大陸縦断中のPが言った。


今や世間をにぎわす時の人ゴーンさんで話題の日産がつくるワンボックスカーをキャンピング使用に改造した車だった。


綺麗にしている。


むこうの人って「どうだ?」とたずねてくるものにたいしては全力で褒めてあげるととても喜んでくれるので、お世辞だろうがなんだろうが見るもの全てにビューティフル、ワンダフル、マーベラスと連呼する。


なんだか物凄く気をよくしてくれたPが口をひらく。「どうだ、一緒に旅をするか?」と、一応ヒッチハイクの危険とかは理解していたけれど、渡りに船というのか、おれは死なないとかいう根拠0の全能感に支配されていた当時のわたしは、おそらく二つ返事でYESと応えていたはずである。


その日の晩はユースホステルで一泊して、翌朝チェックアウト後にPが車で迎えに来てくれた。


前日はあんなことを言っていたけど見知らぬ外人なんてPだって怖いよな?本当に迎えに来てくれて、連れてってくれるのかなあと半信半疑だった。


わたしの荷物はと言うと先に同居人だった人宛に送っていたので、ウエストポーチ一つと言うとんでもない軽装だった。


さあ大陸縦断の始まりである。


人生なんてまあ時にはビール一本でも結構な燃料になって動き出すものです。


白人の友人にゲイしかいない事実



詳細に書き出すとそれ用の旅ブログができそうなのですが、古い時代の話しですから、これといったお役立ち情報は提供できないので記憶に残る出来事をテンポよく書けているつもりで続けます。


グレートバリアリーフにある島へ船で周遊したりと数日間ケアンズ観光をしたあといよいよ出発。


先ずはWW2時に日本軍が爆撃を喰らわせたダーウィンへ、町の景色より道中の赤と緑の景色に興奮していた時期だった。


これと言った名所へは行かず、いや行ったのだろうけど、まるで記憶にない。


二日ほど滞在した。車中泊の始まりである。食事はPの手料理で簡単パスタとトーストが主食だった。


つまりは運が良かったというわけだ。


日増しにPへの信頼度は上昇していき、わたしたちは良い旅の道連れとなっていった。


あっそうそう今思い出したけど、オーストラリアの公園には無料のBBQコンロが設置されていたのだが、その鉄板の上にはこれでもかとうんこが盛られていた。


Pいわく泥酔したアボリジニの仕業だと顔をしかめていた。


あの公園に設置された無料コンロを見るたびにうんこを連想した日本人がどれほどいただろう。


けっこうみんな楽しくやっていたな。


わたしですか?聞かないで下さい。


そして、わたしたちはカカドゥ国立公園へ、機関車とワニしか覚えていない。(そのワニの記憶もほんとにここだったっけと曖昧)


まあ、腹を空かせたワニは地面をバンバン振動させたら水面から顔を出すのだなとは当時の景色と共に覚えている。


その周辺だったかなウラン鉱山の町へ立ち寄り、市民プールのようなところでひと泳ぎしてから次に向かったのはタウンズビルだった。


そこにはPの友人たちが暮らしていた。


「あーら、いらっしゃい。」おねえ臭を辺り一面に巻き散らかしながら現れたのは英語を話す金髪のイッコーさんだった。(実話だからね。)


おれたちみんなゲイさ‼


えっ?


Pもゲイ?→もちろんさ。


何年か前に大ヒットした曲のフレーズが流れ始めました。それはもう激しく流れ始めました。


ふっ、おれってモテルじゃん。


そうです。わたくしナンパされたのでした。


(^^♪フーンフーン♪フーンフーン♪デインジャーゾーン♪


ちなみにフーンフーンの部分は固有名詞。


みんなの前で歌いましたよ。みんな笑っていました。


その日からわたしは肌身離さず常備していた物があります。それはボールペンでした。


違和感なくPを不愉快にさせない物はと考えた時もうボールペンしか浮かびませんでした。


Pには申し訳ないが、万が一の時には手足あたりをぶすっとやって逃げるぞと備えたのです。


ごめんよPと愉快なゲイのみんな。


ちなみにゲイとはもともと同性愛者をさす言葉ではなく陽気な人を指して言う言葉です。


たしか二週間ぐらいは英語のイッコーさん家でお世話になっていたのかな。


料理ができないゲイってPだけだった。わたしが出会ったゲイのみなさんは手料理がうまいんですよね。


わたしはそこでゲイにも様々なタイプがいることに気づきました。



  • 女性が嫌いなゲイ。←(Pはこのタイプ)
  • 女性になりたいゲイ。
  • 男性が好きなゲイ。


他にも精神面重視の人とは違い肉体面重視の性癖からそちらにむかわれた人たちがいます。


例えば体毛の濃い人に興奮を覚えるとかフェチな人。えてしてそのタイプは体毛が薄い人だったり、自分には無いものを追う無いものねだりに憧れる人だった。


根本は個人の人格というより男性性とは女性性とはこうあるべきという拘りが強くて、ストレートのわたしたちより性に求める理想が高い傾向がありましたね。


ある人は理想の女がいないから自分が理想の女になる。みたいなね‼


だから、女はダメなんだ。」と女性の運転とかに腹を立てるPを見ていてもそれは強く感じました。


男女間でさえもはや幻の存在となった亭主関白ですが意外や意外ゲイの世界では異性に対して亭主関白のような発言をする人は相当数います。


自由と言えばゲイをさす意味にもなっていて、その名の下に自分たちの権利を主張したパレードなどの運動に身を投じる人も多いみなさんですが、異性にたいしてはけっこう偏見に満ちた人のイメージがわたしにはある。


権利のパレードはバイセクシャルに譲った方がいいのではないかと密かに思いましたとさ。


相手を知り、危機に備えたのがこの期間でした。


やがて英語のイッコーさんたちとお別れの日がやってまいりました。


もともとゲイとの付き合いなんてなかったわたしに本気度の強い偏見などはなかったので、彼らと直接関わっていく中で日増しに彼らへの好感度は上がっていきました。


こんな言い方もなんですが、彼らはレディースだからとは言わず「自分はジェントル」と公言し自負していましたから内心ちょっとだけ笑っていた。


さて、つぎに向かったのが、アリススプリングスどっかの丘から周辺を見渡しただけだった。


そしていよいよ舞台は本命へ。


あの世界最大の一枚岩エアーズロックです。現在はアボリジニが呼称するウルルに変更されているのですよね。


現在は知りませんが当時は無料で登れました。(お金を支払った記憶がない。)


わたしは頂上にある記念プレートまで他の観光客と共に登りました。時間にして一時間かかったのかなあ。


見晴らしは良かった。


下山後は周辺をドライブしてからPの相方が待つアデレードへ向けて南下しました。


道中にはオパール鉱山で有名なクーパーピディがありましたが、素通りしてしまいました。


できれば地下ホテルで泊まりたかった。



それは覚醒への試練の日々であった。連夜の夜這い篇




はあ、あれこれスキップして旅のおわりです。



車から降りると「ヘーロー」くねくねと体をよじりながら、手招きをするアジア系オーストラリア人。


あの西洋風あいさつである互いの頬を寄せ合いチューをしてから彼は出会ったばかりのわたしに腕時計をプレゼントしてくれた。


名前はまだない。


その日何をしていたかなんて詳細には覚えていないけど、その日彼らゲイカップルとの同居が決定した。


ゲイに体はまかせませんでしたが、人生は流れのままにまかせていました。


やっと本題に挿入もとい突入できそうだ。


わたしは毎夜気が気ではなかった。私用の部屋をひとつあてがわれたのだが、毎夜奴がやって来る。


そう腕時計をプレゼントしてくれた奴だ。


齢20歳、わたしは夜這いを体験することとなった。ちょうど倅(せがれ)に届くあたりから腕を布団の中に忍ばせてきては「ヘアーリー」とか囁くのである。


当時はそんなに毛深いわけでもなかったが、アジア系種族って体毛が薄いらしく、その中で日本人は濃い部類にはいるようだった。


たしかに彼はツルツルだった。


で、すね毛あたりからなでなでしてきて倅(せがれ)にせまってくるのでした。


同居初日からそんなだったので、ある意味よかった。遠慮も弱みもないので、奴が布団の中に手を忍ばせてきてはズバット起き上がり眠れないだろと彼の興味そのものには触れずに軽く叱って帰らせていた。


その部屋にカギはなかったし、カギをつければ関係は壊れると思っていたので奴との攻防は連日連夜つづいた。


料理はうまいし悪い奴ではないのだが、暫くは本当にうざかった。


その期間もっとも不思議だったのがパートナーのそんな行動にPは嫉妬を感じないのかということだった。


同居期間中のPは終始かわることはありませんでした。


毎夜でしたからね。おやすみとおはようの挨拶が世間様より一足早くまとめてきている感じでしたよ。


そんな生活も日を追うほどに落ち着いてきていたある日のこと。


いつものようにリビングのカーペットに腰をおろしてソファーにもたれかかりながらくつろいでいると、二人がやってきてソファーの上でなにやらはじめました。


人の頭の上でなにをやってんだと思いながらも無視していたら奴がわたしの名を呼びました。


振り返るとPの倅(せがれ)を奴が呑み込んでいました。


まあ、行為そのものよりも彼らの家だしという感覚の方がまさっていたのは今でも覚えている。


その時点である程度は冷めた目で見られるようになっていたとはいえ、ここで今するかと思いました。


わたしの深層に眠る性的嗜好を呼び覚まそうとしてくれているようでしたが、ついぞ新生わたしが誕生する日はおとずれませんでした。


成人式をむかえた年だったしね、いつ倅(せがれ)が反応するかと気が気ではなかったよホントに。


不合格もいいもんさ。


非モテが愛を叫ぶなと...迷惑だから



「同性愛者に理解を」ねえ、恥ずかしげもなくこういう綺麗ごとを口にできる人たちって、彼らのことをどれだけ知っているのだろうかね。


「同性愛者に理解を」これを主張している連中は本気でアホだと思う。


どうしたら縁もゆかりも関りも無い性癖の変わった人を想い擁護できるのかが、わたしにはさっぱりわからない。


その社会的弱者とかいう存在を自分の為に利用してんじゃねえよでしょ。


上記のような綺麗ごとを騙る奴らってのは、マイノリティは弱者としてしか見ていませんよね。


まったく失礼な連中だ。


そんな彼らを擁護する自分は素晴らしいとエクスタシーに浸っているのでしょう。


こういう人たちって側に想う人が無いまま年老いてしまった非モテ独身がほとんどなんじゃないのかな?


わたしは押し売りの愛に生きる人は愛された経験がない可哀想な非モテがその実態ではないかと見ている。


彼らは良い人ではなく、なるべくしてなってしまった人なのです。


そりゃ自分に気持ちの良いものを想像して自慰に耽るのもしかたがないのはよくわかる。


でもな他人の色恋なんて基本気持ち悪いもんなんだ。誰がおまえの恋愛事情に興味があるんだという話ですよ。


愛し合う二人だろ。究極は二人だけが解り合えれば、それこそが理想だろう。


他人の理解?うぜえよ!そういう愚行(おせっかい)を野暮というのだ。


静かにしておいてやるのが一番の情であり親切ではないのかな。


なあーにが理解ある社会をだよなあ。おまえら他人(ひと)の事になんて興味がないだろうと見透かされている自分を恥じるべきである。


愛を語るより愛に集る社会を変えてやれ‼


マイノリティが社会的弱者は嘘 



世界のお金の半分以上を支配しているのは60人前後なんだろ?
8人と言う数字もあるが、それは下層の資産で試算しているようですね。


そもそも、わたしの知る彼らは社会の弱者でも被害者でもなかった。


大学教授だとか経営者だとかむしろ社会的に見たら成功者が多数まぎれていたぞ。


教授の家で教授の手料理をふるまわれる学生がどれほど存在しているのだろうか?


ゲイコミュニティは上級層だった!


そのパートナーにはちょっと問題があって長期滞在ビザや永住権が欲しい出稼ぎ労働者に多かったけどね。


これこそが世論の反発を喰らう要因であっただろう。↑


不幸を感じているゲイがいればだけど、本気で疎外感を感じているのなら人様を見下すのもたいがいにせえやと、損得抜きでマイノリティの当事者であるゲイがその擁護派に反旗を翻して声をあげればいいんだ。


「ほっとけや」とね。


擁護派を気取っている奴らの多くなんて〇〇なんだから、そのような輩をこそ生贄にして社会との融和をはかればいいのに。


LGBTとか語っている人って、「そんな人にインタビューしてみましたあ」とか、行きつけの「こじゃれたバーのマスターがそんな人でしてえ」とか、実はそんなに親しくもないのに「クラスメイトにそんな子がいてえ」とか、「へえ、人脈ひろいねえ(棒)」と返事してもらっている方が多そう。


体の相性から始まる愛もあるぞ‼


愛が無くても抱ける男は沢山いる。その溢れる愛をもって一度抱かれてくればいいのにな。


そしたら無駄口をたたく暇もなくなるだろうに...


そもそも多数の人は興味すらないのだから嫌悪も偏見もありません。


  • 自分の色恋を認めてくれと社会に向けて大声で発信するとか異常だよな‼
  • 他人の色恋を認めてやれと社会に向けて大声で発信するなんて上記とは比べようもないほど異常だと思いますけど、何か?


追記:「ゲイに告白されたらどうする?」



LGBTで検索してみたらアホな問いがあったので独自の見解というほどたいそうな答えでもないがサラッと加えておきます。


答える前に愚痴を少し。


LGBTと検索すると検索TOPページのほとんどが人権屋さんと思わしき活動家あるいは運動家の記事が多いこと。


次に告白された時の対応を知りたいとかいうヘタレ。(悪いけど、こんな子を恋愛対象にする人はいるのか?)


ゲイと公言している当事者ブログもあるのに相当下位におしやられていた。


記事を拝見するとあれこれとデータを並べ立ててわかったことを言っている記事よりよほどオリジナリティもあって勉強になる。


それなのに下位である。なんだかなブログそのものにつまんなさを感じさせられた一瞬だった。


Googleさん頑張って。では始めます。↓


Q1:ゲイに告白されたらどうする?


A1:何そのゲイに限定したゴリ押し。告白者が恋愛対象でなければ誰であろうと「お断り。」の一択です。


お断り理由がゲイだからとして何が問題なのかがわからん。


キスしたくない。抱けない。手を繋いで一緒に歩きたくない。具体例を出すと一見差別的だけど、そんなことは「お断り」した女性に対しても男性に対しても同じ事が言えるよ。


仮にそれが差別であってもそこに性差など存在せんわ。


あえて言うなら好みの問題だ。


お断り思考なんて相手さまへの否定より自分の理想が優先されているだけだろ。


だって相手さまに興味がないんだからさ、恋愛なんていつでもこんなもんだよね。


そもそも質問者は恋愛経験があるのだろうかと思わせる。


自分に恋心を抱く人だろ。人は誰でも恋をするんだ。恋する人と書けば問題にすらならないのに。


「自分の好みではない人が熱烈に恋心を寄せてきたらどうする?」と問われたら誰であってもそのテーマは「恋、告白」について考え最善の解決策を模索するだろうけど、対象を限定してしまうとその人個人の問題について誘導されてしまいます。


はい、行き着く先は「人権」です。


テーマは初めから「恋」ではなくて「人権」。恋について語っても質問者が納得する答えなど出るわけがないのです。


これも一つの答えありきの質問なのさ。


ホント対象を限定しているところに悪意しか感じられない。


つまり性的少数派に対して受け入れ拒否をする行為は、その人の人格から人生からすべてを否定する事と変わらない。尻の穴が小さい人はそう言いたいのかな?


ドえらい脅しだな、おい。ガン突きされてくればいいのに。(願望)


こうゆう悪意ある刷り込みはいかんよ。普通に恋愛経験がある人ならあれおかしい人がいると華麗にスルーするだろうけど、未熟者はちょっとヤバイかもな。


若者なんかは学生時代散々「自虐教育」づけにされているようだし、けっこう危険だと思う。


恋愛対象が弱者を受け入れない自分は人でなしと思いこまされている人なら、悪意がそこに付け入ろうとするのは見え見えだしね。


だからこそだよ、色恋なんて他人の意思で左右されることではない。自分の意思を押し殺して受け入れたところで、やがて破綻する関係でしかない。


それは互いを傷つけあうだけの呪われた洗脳工作である。別れても憎しみはつづくかもしれない。


何がやさしい世界なもんか、愛を信じられなくなった殺伐とした光景がひろがるだけだ。


その気も無いのに受け入れることが一番の罪だ。これがべたな答えでベターな答えだ。


恋愛は自由だ‼


こんなおじさんでもモテ期があったんだよ。YESしていたらぼくの黒菊は今ごろ牡丹になっていますわ。


人によりけりだけどそういうことも愉しめるかってこと。綺麗ごとではないよ恋愛だって。


ぜんぜんサラッとではなかった。


なんとなく続編へ→LGBT差別を言う人たちが嫌い


作者より作品を愛でる人の方が多いのだから二人だけの秘密があっていい。



知らないとはある種の爆弾を抱えているような状態ですから、きっかけ次第で好きにも嫌いにもなります。


わざわざ関わる事もないだろうと当時のわたしはそこを避けて通った。


パディントンここはゲイたちが多く暮らす町。そして同時に芸術の町でもあった。


芸術なんてわからない。わたしにとってそこはオカマの町だった。


芸術も人も直接関わらなければわからないまま過ぎ去って行くものなのである。

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