LGBTよりLGBT差別を言う人たちが嫌い

2019年1月20日

LGBT




青年よりのおじさんと爺さんよりのおじさんと二極化していて、おじさんの幅ってやたら広いよね。


そんなわけで、もう爺さんと自称した方がいいのかなと真剣に悩むアラフィフおじさん登場。ばばばん

そもそも論 LGBT差別は無い。


LGBTは社会問題にされていいのかと、突然LGBT問題に目覚めてしまってから今もなにやらモヤモヤとするものがあり、それについてもう少し掘り下げてみたくなった。


先ず、何を今さら頓珍漢なという思いがめぐったのだ‼現代日本で叫ばれる「差別」はとかく頓珍漢である。


その根拠となったのは過去に学んだ日本史から蘇る記憶にあった。


日本ってそもそも性に寛容な国だったよなというイメージが強く残っていたのですよね。


久隔帖と泰範を知っていますか?



空海と最澄の二人は同時代に生きた坊さんであることを知る人は多いと思う。


大陸では唐が天下を治めていた時代の話である。


二人の僧、空海(水夫身分)と最澄(エリート身分)は共に遣唐使として海を渡り後に空海は真言宗を、最澄は天台宗をひらくことになる。


最澄が学んだ顕教は当時最先端をゆくものではあったが、普通の仏教であるのに対して、空海が学んだ密教は真言を唱えれば相手を呪い殺すことさえできる魔法のようなものとされていた。


そして当時最高の密教僧であった恵果は空海に奥義を伝授した後で亡くなってしまい、その瞬間より空海一人だけが真言密教の奥義を伝えられる存在となったのである。


さて、帰国後も勉強熱心な最澄は南都六宗と争いながらも、真言密教の事が知りたいと空海に真言密教の経典を貸してくださいとおねだりをします。その申し入れを快く受け入れた空海は真言密教の経典を最澄に貸してあげました。ところが読書ばかりに気をとられた最澄は山で修業することはなかったようで、そんな事をされては読書だけで会得できると誤解されるからあなたにはもう経典を貸してあげないと空海がしたためた書こそが「風信の帖」でした。


さあ、ここからいよいよ熱く冷たい愛憎劇の始まりです。


真言密教の経典を貸してもらえなくなった最澄ですが、あきらめられません。


しかし天台宗のトップである自分が空海に弟子入りすることもできないというジレンマにたたされてしまいます。


そこで思いついたのが自分の信頼する弟子たちを高野山に派遣することで、空海の弟子にして密教を会得したら比叡山に戻らせることでした。


その弟子たちの中に最澄の後継者と目され、当時の比叡山でもっとも美しく、もっとも優秀な美少年僧侶がいた。


その名を泰範と言う。


高野山に送り込んだ弟子の幾人かは時の経過と共に戻って来たが、いつまで経っても帰って来ない僧侶が一人いた。


それが泰範である。


しびれをきらせた最澄(この時47歳とあります。)が、「泰範よ、今すぐ帰ってこい。」と宣言すると、「お師匠様、まことに申し訳ございません。実はわたくし空海様の事が好きになってしまいました。申し訳ありませんが、空海様のもとを離れたくありません。」あろうことか泰範の口から出た返事は空海への恋慕に満ちたものであったのです。


最澄は最大のライバルである空海に最愛の人、泰範を奪われてしまったのです。


それからいったい幾日の悶々とする日々を過ごした最澄であったであろうか?


ついに最澄は泰範へ宛てて筆をとります。


「わたしとおまえのあいだには久しく隔たりがありましたが、元気にお暮しでしょうか、お願いだからわたしのもとへ戻ってきておくれ。わたしはおまえが愛おしい。」


これこそ名書「久隔帖」我が国の国宝である。


千年以上の昔に超絶エリート男性が超絶美青年にむけて書かれたラブレターですよこれ。



戦国無双 激突の男根ほとばしる種



女好きの太閤秀吉はむしろ珍しいと見られていたとか、それほどに男色は日常的であったと当時小学生だったわたしは、「ワニの豆本」かそれによく似た雑学書籍で読んだ記憶がある。


それは主従の絆を深める行為でもあったという。


今さっき確認のため「戦国時代男色」で検索してみた。


ほぼ記憶通りの記事が書かれているサイトが軒並み並んでいて、なんだかしてやったりな気分に浸っている。


戦国時代から陣に女性を連れて行くのはデメリットの方が多くて男色で性欲を満たしていたという話もなんとなく覚えていたのですが、これは賛否両論入り乱れていますね。


あと戦場で勇ましく戦った女性としては木曾義仲の愛妾であった巴御前が真っ先に思い出されるけど、他に連想される女性っていないのですよね。


わたしの勉強不足の為であるのですが、それでもわたしは戦国武将は陣には女性を連れて行かずに、悶々したら男色に耽った派です。


現実的にいろいろと面倒じゃん。男はヤダって人は自慰に耽っていたと思います。


とにもかくにも戦国武将の男色伝は信長公、信玄公その他数多く語り継がれているのでありました。


井原西鶴著 男色大鑑



風俗ライターの先駆けだった西鶴。


好色一代男ほか多分わたしが好色という言葉を覚えたのは、この西鶴の著作からです。


それほどに西鶴とは好色であった。


さて、男色大鑑ですが、読んだことはありません。人づてによるとその内容はひたすら男色の素晴らしさが書き記されているそうです。


生没年1642年1693年である。


時代は鎖国から開国へ それは差別との戦いの始まり



同性愛はキリスト教の聖書において指弾され性的逸脱である宗教上の罪とされてきた。


日本では鎖国時代まで日常的に行われていた男色文化だったが、同性愛を異常性愛に分類する西欧の近代精神分析学に影響された西洋人たちの流入によって開国と同時に急速に異端視され非難に晒される状況となり間もなく不道徳な行為として変貌していった。


つまり今日の日本における同性愛に対する偏見や差別と呼ばれるものの多くは、日本国内から自然発生的に生まれた、もしくはある特定の層より故意に扇動されたものではなくて、西欧より押し付けられた宗教であり、学問であり価値観であった。


日本は人種差別撤廃を国際会議で主張した世界初の国家である。



非常に詳細に尚且つ簡潔な記事に昇華されている素晴らしいサイトが幾つもありますので、詳しくはそちらを拝見されることをおすすめいたします。


時は第一次世界大戦後。ところはパリ講和会議の国際連盟委員会でのことなり。


大日本帝国の牧野伸顕次席全権大使は「人種差別撤廃をするべき」と主張、この提案に賛同した国は11それに対して反対した国は5と圧倒的賛成数を得たのですが、議長のトーマス・ウィルソン米国大統領が「全会一致ではない」として法案は不採決と宣言、そして否決されてしまいました。


正義はアメリカにありである。その後、反対票を投じた英米との関係は冷えていきましたとさ。


ごそっと損をする事はわかっていても、情け容赦のない損切と自国ファーストがなにより優先されるべきだなと思うおじさんでした。


アメリカが覇権国家でありつづけるかぎりは日本に正義は要らない。


シュトゥルム-ウント-ドラング 激動の現代篇



グワーッ。


当時のぼくたちはスパークしておりました。カードゲーム(ポーカーとか)で負けた奴が岡山まできびだんごを買いに行って帰って来い。


あまりの寂しさに勝利したはずの見た目はノミ屋中身は池沼な悪友を道連れに岡山に向けて爆走する。


神戸辺りから平均時速120Km以上で激走する大型トラックに前後を挟まれ、煽られつづけるが工事中一車線になっていて逃げ場がなく車内で絶叫を繰り返す。


今もあの時の恐怖と怒りは忘れられない。


結局、この時を含めこれと言った用も無いのに倉敷へは三度ほど行ったような気がする。ちなみに、きびだんご愛なんてない。


帰路は不眠のドライブによる空腹を満たすため食いだおれのまち大阪へ、そこで目にした二人のオネエさん。高いハイヒールによりお二人とも180㎝以上はあったでしょうか、深夜の通天閣を前にドレスをまくりあげて立ちションしていた雄々しい姿に身震いするほどの恐怖を感じました。(実話)


それは連れションをした後に連動する友情バイブレーションとはあきらかに違う感覚でありました。


大波小波にゆれる心にぼくたちは違う世界に生きる者同士であるのだと自覚した瞬間です。


あなた、先祖代々日本人ですか?



LGBTについての記事を投稿してから一定期間が過ぎて今あらためて気づいたのは、わたしにとってLGBT問題とはつくづく恋愛問題でしかないのだということだった。


いい恋愛をしていれば問題ないじゃん‼


ところがわたし以外にLGBTについて書かれているほとんどの方は否定肯定の差異はあれど、どれも差別をメインテーマにしているのでした。


彼らにとってLGBTはどうしても差別にしなければいけない問題のようです。


それについて全否定はできませんが、なんだかスッキリしません。


その最大の理由は先に上述したこの国における同性愛事情と、その偏見差別に至る遍歴を無視して筋違いの自国批判に終始している連中に対する不信感があるのは今さら説明するまでもありません。


なぜだかLGBT記事執筆者のほとんどが当事者または近しい人ではないように見受けられるのも問題です。


当事者や研究者以外で同性愛者に興味を示している方では弁護士先生がおられますね。


わかります。被害者は商品ですからね。これならわかります。


このご時世、少数派というだけで被害者特典が付与されているようなものですからね。


被害者意識を植え付ける事によって飯の種が成長していくのだから、これはビジネスとしてなら十分理解できます。


人権ビジネスですね。


法と正義の名の下に互いの人生とスキルを物々交換しているだけなので否定はできません。


むしろ理解できます。


Googleさんの検索順位にも上位表示されていたりしますが、納得の記事執筆者として受け入れられます。


問題なのはここからです。やたらとデータ重視の方ですね。


ところで、そのアンケート調査の回答はあらかじめ作成者の意図によって準備された誘導質問による結果かもしれませんよ。


↑上記のような事も無きにしも非ずなので、このようにデリケートな問題は当事者の言葉だけにしか信憑性は認められないものと考えますが、積極的ではないインタビュー記事(自己主張がしたければ第三者の口など不要な時代です。)やアンケート調査の結果から本質的な問題(世の中の理解不足?)までも社会構造に要因があるとして批判されるむきがありますね。


回答者の意思など最初のチェック欄からありませんよ。


↑わたしがアンケート調査の結果をもとに記事を執筆するなら上記を前提にすると思いますので、よけい反感を覚えます。


極論を申しあげれば、「その世の中の理解不足という本質的な問題はホントにあるのですかと?


日本はそもそもと「そもそも論」を出したくなったのが今記事ですわ。


構造と言うよりは勉強不足が指摘にちかく、排他的というよりは良い意味で無関心だと思うのだよね。


  • あなたは他人の恋愛に口をはさむ人ですか?
  • このようなおせっかいさんがいたらどう思われますか?


その本質的な問題(無理解、排他的)って部分ですけど、大半の先祖代々日本人は無意識にクリアしちゃっつてんじゃないのと想像できないものかな?


日本人って賢人(宗教家)や権力者(お大名)には従順でいて同調圧力にも滅法弱い民族でしょう。


開国までの歳月がどれほどあったことか、性に寛容な空気は完ぺきに社会に浸透醸成されていて、先祖に培われた感性は現代人にもしっかりと刷り込まれていると考えてみてもいいじゃん。


同性愛=悪徳という価値観ではないという意味です。


良いものは良いものとして受け入れる日本人の性質を考えれば、たかだか性別で良いものを無駄にする日本人ではないでしょう。


同性愛=悪徳なんて価値観では得られる物も得られなくなる可能性を生むだけですからね。


誰かが抱き合うぶんにはオラ知らね。の方がお得な価値観だもん。


↑これってさ、とても重要な事で、同性同士に限定されているわけではなくて、異性同士にも言える感覚なんだよね。


つまり、どっちも同じ扱いですよ‼


あとね、適材適所と性別がわりと上手く分別できる社会が続いていただけです。


また、それゆえにメリットが無いとわかると時に冷たく、時に厳しく感情的になっていたのでしょう。


健康な体を持つ男女が子孫を残さないというのは単純に残念ではありませんか?!


生物としてはもっとも大切な任務なのでしょう。


生活が安定している同性愛者さんには尚更「やればできるのに、どうしてやらないの」ってさ、性差別と言うより単に惜しい気持ちが激しく表出してしまうのだろう。


わからなくはないよ。本能を「差別」と断定するのはいかがなものだろうか?


発言主が社会的責任がある地位にあった場合など、当たり前の話だけど無理強いは当人に拒否され民間から批判を受けても仕方がないだろう。


でもさ、だからこそ高圧的に言わなきゃいけない立場でもあるよね。


だってさ、世の中から子供がいなくなったら社会は成り立たないわけだし、愛する人だって誕生しないわけだからね。


当事者としてその程度の社会的プレッシャーは受け止めてもらわないと、それこそ社会は崩壊するよ。


そのきっかけに悪用されている自覚は常にもっていないと社会から孤立する一方だと思う。


新世界の構築より既存の社会との共存を唱える人が付き合うべき人ではないのかな。


そうして世の中はおいおい変わっていくものだ。


性別ねえ、人を見る判断材料としての優先順位は低いとおもいますけどねえ。


ゲイだろうがレズだろうがメリットがあれば欲しい人材になるでしょ。


あのさ、おかま飯うまいんだよね。ぜんっぜんっ気持ちわるくないのですけど、「気持ちわるいからおかまは飯を作るな」なんてこれっつぽっつちも思いませんけどね。


くわえて日本人はおもてなしは得意にしていてもおことわりは苦手なんだよ。


今の若者の反応は知らないけど、おじさんの世代は硬派を気取る奴なんかもいて女の子に告白されても暴言を吐いたり、悪態をついたりとお行儀の良いおことわりなんてできない奴がけっこういたのです。


これがですね恋愛経験が無いとなるともう致命的に対応がわからないわけですよ。


異性間でさえこれですよ、同性間での色恋沙汰なんて未知との遭遇ですからね。


水鉄砲をぶっ放せば、新しい世界を見られるかも知れませんけど、ほぼほぼ、ショック死ですわ。


もうね、互いを守る術としてはクールを気取るしかないのです。それを無関心だの薄情だのあげくに差別とか、勘弁してくださいでしょう。


市民いわく、毛唐にかわっておしおきよ



国家国民総差別主義者のように「差別、差別」って、どんだけ差別が好きなんだよ。


差別なんてしていない。むろん無意識の差別なんかも無い。


「差別、差別」と騒いでいるのは日本人として継承しているべきものが無い外人と外人の手先だけで、「差別、差別」と騒がれているのが先祖代々日本人ってだけの話ではないのかな。


なぜ自分や社会を否定した論理に従わにゃならんのかって頭をひねる人がおられるならカールチューンが呼び覚まされているのですわ。


きっとね‼


日本は日本人の国だ。その日本人が日本国内で差別主義者と言われて「はい、そうですか」はないだろう。


ホント「差別、差別」と連呼している人たちって失礼な人だよな。


そんなわけで理不尽な差別主義者はいないと断言しておく。


そのうえでシステム的な不備があり、調整していく必要がある事は認めよう。


たださあ、「おフランスでは事実婚があ」とか「中韓では夫婦別姓があ」とか普段はこれまでの結婚制度に異論を唱えている方がどうして同性婚にはこだわるのかなあと、ここで少し昔話が入ります。


ー 勉強はできるけどギャンブルで身を持ち崩したクズがぼくの家庭教師でした。


そんな我が家は共産党さんの政党ポスターを貼らせていれば町一番似合う家だった。


そんな家に家庭教師だって?おやじの遊び仲間でもあったそいつは安く買えたのだ。


誰がそんなクズに手柄を上げさせてやりたいと願うだろうか、ぼくはできるだけ逃走をつづけた。


見栄っ張りなおやじはお代を支払いつづけた。


受験が過ぎてからもクズは遊びに来ていて、いつも大ぼらを吹いていた。


ネタのように思われるかもしれないが、クズとはそれほどパターン化された生物なのだ。


ある日、クズが言った。「偽装結婚は金になるよ」このクズいつの間にか既婚者になっていた。


お相手は支那人だと言っていたが、もう会っていないと言う。


こいつホントにクズだなと思った。もう何度目だっただろうか、クズとは底知れないものなのだ。


こいつらは底なし沼に生きている。


蛇頭と呼ばれる支那人密入国斡旋団が暗躍していた時代であった。ー



  • そんなわけで特定の外国人にとって結婚は国籍取得のカードであった。
  • 友人のゲイはパートナーのビザ申請に熱心だった。
  • 一瞬だけど当時のわたしも結婚離婚ありだなと企んだほどである。


LGBT問題に取り組む市町村って、なるほどと思わせる香ばしさが漂うんだよねえ。


楽園に暮らすにも覚悟は必要なのだなと物思いに耽るおじさんでありました。


支援者だけが不幸自慢にのどを鳴らす



LGBTネタを記事にしている人は「差別、社会問題、非生産的」が関連ワードになっている事態が不幸だと思わないのかなあ?


もっと当事者の幸せ生活をつづったブログとかが上位にくる必要があるのに、その記事はそのような記事執筆をうながす内容ではなくて、当事者たちに対して自分たちに都合のいい社会になったらいいな(傍観、傍観)って空気を醸成するメッセージにしかなっていないよね。


もの凄く不幸な生き物扱いだよな。


おかげで希少な当事者さんブログを拝見させていただくと、ゲイ生活の楽しさをうたう記事より、支援者が言うほど不幸ではないとした記事を書かれていたりする。


そりゃそうです。社会生活なんて障害や性別に関係なく誰にも等しく大変なのに、もはや同情を越えた自慢、不幸自慢と受け取られかねないとなったらそれこそ社会生活に重大な不利益を生じかねません。


性事情を軽視はしてはいませんが、表向き一般社会で重視されるのは性より生(食う)ですからね。


少数の性嗜好者のために社会のルールをかえろとか喚き散らかしている連中をどこの誰が温かい目で見守ってくれるというのか?


こころやさしい方々はLGBT擁護しているつもりが追い込んでいる結果になっているかもと冷静になって考えた方がいい。


この世の中に絶対正義なんて無いのだから、自重しなければね。


一番自重しなければいけない人たちが世間に自重をうながすとは何事かって話ですよ。


誰だって嫌われ者からは擁護されたくはないのが本音です。どうせなら人気者に言ってほしかったが本音です。


どんなド正論も嫌われ者は口にしない事が正解だとわたしは思っている。


助けたい人がいるのなら、先ずは好かれる人になるべきだ。


残念ながら好かれるキャラでないと自覚するなら、黙っている事が最大の応援である。


学校で差別、職場で差別、社会で差別、世界でも差別。



LGBTを排除する心理って、幼児性でしょ。


三つ子の魂百までともいうので、こどもの頃のそういった教育は必要とは思いますけど、いきなり「差別反対」からはいるのがおかしいんだよな。


同じ標語を使うなら「キモイと言うな。」とだけ叩きこめば、ほぼ解決じゃないの?!


自分のこども時代を振り返ってみて思うのは、いわゆる言葉の暴力ですよね。


ふつうに「オカマ、オカマ」と連呼していましたもん。こどもですよ、ピカピカの童貞がですよ、華奢で声が小さくて肌が青っ白い子を見つけると「オカマ」連呼ですわ。


わたしなんてカマレンコにターゲットにされかねないキャラでしたので、そりゃもう人一倍「オカマ、オカマ」と連呼していました。


何が言いたいかって、オカマ=キモイ設定がダメなんですよ。


そのてんでは、現在のオネエさんたちの活躍は好意的に見ていられますね。


キモイからおもしろいへ、そして賢いに移行しつつある。


まあ、同じ世界に生きる同じ人間ですからあたりまえっちゃあたりまえの事ですが、それは色眼鏡で見られなくなってきた証ではないかなと思うわけです。


もっとオネエさんがたが活躍すればいいんです。差別連呼の存在を食うほどの大活躍を期待せずにはいられない。


トイレよりも風呂だろ、お・ふ・ろ



支援者もしくは支援団体は同性愛者との混浴ってどう考えているのだろう?


わたしがおんな湯に突撃したら即タイーホになるのですけど、(罪作りな倅やでえ)同性愛者さんだと被害者になるのそれとも加害者なの?


わたしがまだぴちぴちの若かりし頃に銭湯に行くとですね、湯船の中でべたべたと触れてくる中年とかいたわけですが、あれはふつうにキモイぞ。(実話)


支援者や支援団体の中の人って、そのような体験はあるのかなあ。


まるっきり体験が無いとしたら、それはそれで凄いよな。何をきっかけにそんな活動を始めたかって気になるわあ。


風呂よりトイレを重視しているので、お察しなんだけどさ。

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