♬ラブラブ♬ラブソング♬ 愛をとりもどせ♪
俺の名はチャック。
チャック ザ ジッパーと人は言う。
端切れ舞うシャッター街にあいつと俺は出会った。
ファスナー、それが俺を愛し、俺が愛したあいつの名前。
ファスナーはしこたま俺を愛してくれた。
ずだぼろに引き裂かれて今にも千切れ飛んでしまいそうな俺の心を縫うようにファスナーはやさしく包みこんでくれた。
時には針で刺すような冷たい言葉も浴びせてきたが、それでも俺たちの愛がジグザグに乱れてしまような危機は一度もなかった。
いや、思い返せばあの針で刺すように冷たい言葉があったからこそ俺たちの愛はよりいっそう強く深く、この心に語り尽くせないほどの愛の刺繍を綴らせていたのかもしれない。
いつも同じだった。
俺は男の下心を隠すように胸部を包み、あいつは女の色香を隠すように背中を包んだ。
俺の名はチャック、あいつの名はファスナー、俺たちは表と裏で裏と表で常に互いを見つめ合う関係だった。
俺たちは似た者同士だ。
人肌を挟んで隙間なく閉じられていくドレスの中で、激しく脈打つ鼓動に熱く膨れ上がる想いは今にも破裂しそうだった。
上昇していく体温が俺たちを結ぶように、さらには溶かすかのように熱く伝導してくる。
俺たちだけを包み込む世界。これが天国と呼ばれるものなのか、エクトプラズムのようにゆれながら気化した体臭が躍る。
いたずら娘の指先につままれて、無邪気なおまえが上に逃げれば俺だって上へと追いかけた。ベッドへ誘うようにおまえが下へ逃げれば俺だって下へと追いかけた。
いつものように重なり合って俺たちは眠る。
洗濯機の中に堕ちていくファスナー、渦巻く世界に踊り子のようにまわりながらファスナーが俺の元へと近づいて来る。
絡み合う俺たち。
はちきれんばかりの豊満な胸もとから洩れだす狂おしいほどの吐息はやがてしゃぼんのように溢れ出したかと思うと、それは瞬く間に空いっぱいに弾けファスナーの唄声となった。
まるで俺の髪の毛を手櫛で梳くかのようにファスナーが歌うラブソングは町中に流れた。
ファスナーの甘く清らかな歌声は道行く者のくたびれた心までも洗い、そして癒した。
ファスナーの唄声を耳にしながら俺は心より静かな世界を望んだ。
だがそんな幸せな時間はそう長くつづくものではなかった。
なぜなら俺は、チャック ザ ジッパー。
つづく
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恋心は清潔を好む。磨かないと垢がたまりそれはやがて壁になる。
十代の頃は短歌や現代詩それも恋愛をテーマにした作品を書いている奴なんて現実世界に存在していないとまで思っていた。
だって気持ち悪いじゃん。
今でもその気持ちに変わりはないのだけど、それがかえって恋愛物を書きたくさせる原動力になっている。
なんだか絶望を喰らわせてやりたい。其の思いが今また強くなった。
あれから20年以上の年月を経て思っていたような恋愛物は書けるのかと言うと実に難しい。
自分の中に分厚い壁が完成されているのがわかります。
トランプ大統領に差し上げたいほどに強固で分厚い壁がわたしの心にそびえたっている。
これを打ち砕くのは、ほとほと困難である。
何をするにも先ず理性が働くというのでしょうか、ゆあーんゆよーんゆあゆよん、おもえば遠くきたもんだ、汚れちまった哀しみに...恋愛についてはそんな心境でございます。
ロマンティックが欲しいわけではない。衝撃が必要なのだ。
もはや叩いて崩す他ない。
しかし、その壁は同時に身を守る防御壁の役割も担っていた。
新緑の向こうに暮らす誰かに想いを寄せることも無く、人の世に疲れ果て手垢まみれの壁にもたれかかっつているのは薄汚れた自分である。
- もうね、娘がいなくてもお父さん目線になる。
- 二十代の娘さんがリアル娘なんだもん。
- 若い女性に対して引け目を感じるようになる。
恋愛に年の差はないとか、年齢なんてタダの数字とか言いますけどね、そりゃ感情(恋心)を重視される女性だから言えるのですよ、どうしたって男は恋愛対象に体(性欲)を求めてしまうのです。
男はそんな自分とよその男とを重ねて見るのだ。
(おまえは娘の純真な心よりも若い女体に溺れているだけだゴルァ。くそー、くそー、くそー、)これ以上くそーが増えるとマジの変態になるので、くそーが三回くらいで以降は思考停止になる。
自分の娘のお相手が自分と同年代もしくは自分よりも年上と知ったらもう断頭台の露にでもしてやらないと収まりません。
こんな話題になるとほとんどの女性は考えすぎ「変態」と言い返してくるのですけど、自分の娘がしょうもないおっさんからイヤらしい目で見られるなんておじさんとしては断固許せることではないのです。
そんな父性なんだか、嫉妬なんだかよくわからない感情が芽吹きはじめてしまうとですね、いよいよ恋愛感情にストッパーが働くようになるのですよ。
「お互い好き同士なら誰に遠慮することがある。」とアドバイスされたところで、それはもう壁の前に積もる砂ぼこりでしかない。
自分が嫌悪し軽蔑するそんな変態親父と同じような目で自分も見られたくない。
男としては哀しいような気もするが、若い女性を我が子のように見ることによって、おじさんはおじさんをおじさんたらしめるのだ。
そうしてセクハラ訴訟、ハニートラップから身を護る。
そんなガッチガチの糞のような防衛本能で塗り固められた壁を砕くには見つめ合った瞬間から燃え尽きてしまうほど熱く、頭をぶつけあった瞬間から粉々に崩れ落ちるほど強く、涙に暮れたらすべてを呑み込む大津波のごとき衝撃の大きな出会いが必要なのだ。
もう、死んでもいいってぐらいのやつきたウラー。
おじさんに恋は難題。当たり前とは残酷だ。
そして、おじさんは恋を忘れる。
恋せよ若人よ‼ええ恋は若いうちに体験しておかないといけないぞ‼
恋愛対象を若い女性にしているところが根本的にクズだと指弾されそうですから持論を述べておこう。
- 若い女性=純白パンティーだ。いやあーん。
- 純粋無垢=恋である。んふっ、んふっ、んふっ。
- 恋愛=創作である。カチャカチャ、カチャカチャ。
結論→人生が無い方が恋は素敵に書けるのさ。
女遊びは簡単だ。しかし恋となるととてつもなくハードモードに感じるのだ、それがおじさんなのだ。
リアルでは三十代以降でもお付き合いは楽しめるけど、それは失楽園(古っ)や老いらくの恋、S〇Xフレンドとか割り切った大人の関係で、あって、これを純粋な恋物語とは言いたくない。
せいぜいドロドロの泥沼にあそぶドジョッコの交尾観察日記である。
割り切れないからこそ恋なんだ。...ミミズだって、オケラだって←ちなみにこの童謡「手のひらを太陽に」の作詞者はあの「あーんパーンチ」のやなせたかし氏である。
計算できないバカップル最高。
年を重ねるほどバカップルが微笑ましく思える。
だって無理じゃん。
公共の場でおっさんが、あんなことや、そんなこと。誰の目にも変態でしかないでしょう。
ぜんぜん微笑ましくねえ。その空気感たるや、周辺を腐海に変えてしまいそうだろ。
おっさんなんてなあ、お代を支払って、限られた空間の中で〇かちゃんプレイがせいぜいなんすよ。
フンガ—、フンガー。
「えっ、金ねえし。」←こんな言い訳していないで、若者は恋愛して下さい。お願い。