アラフィフからの挑戦 恋の短歌を詠もうと思う

2020年7月13日

短歌 恋バナ




さよなら少年ようこそおじさん



大丈夫なんて言うなよ昨日まで少年だったパーカ差し出す


作者自身が作品の後に注釈をつけるなんてズルいし、解釈を限定してしまうしで自爆行為だとも思っているが現在20数年ぶりになるリハビリ中なので勘弁してほしい。


平成のある日ある時ある場所で5歳離れた年上のおねえさんと二人で遊びに行きました。おねえさんの口癖は「弟と同級生だよね。」だった。


二十代が始まった年だった。


口コミで美味しいと噂されていた飲茶(ヤムチャ)を楽しみに行くことになって中華街へと足を運んだまでは覚えているが・・・その後のことはすっかり忘れてしまった。


点心とか食ったのだろうけど、なんとなくしか記憶にありません。


それより鮮明に覚えているのは、たこ焼きを頬張りながら片方のほっぺを👌とつまんでいたおねえさんの様子だ。


ふざけるお姉さんにかわいい連呼している自分がいたな。かわいい。


そんな食べ歩きの一日の終わりには雨が降ってきた。


雨が降ってきてから数分間の葛藤ときたらもうね、はっきりいって欲望に任せて勢いのままホテルへ連れ込むよりドキドキした。


なんだかキザっぽいし、そもそもそんなキャラじゃねえし、どうすりゃいいんだこのパーカですよ。


さりげなくほらよだなんてできねえ。


というかしっかり胸元まで上げてあったジッパーがうらめしかった。それを下げて脱いで手渡すというプロセスを想像すると非常にもどかしかった。


ぜんぜんさり気なさを演出できねえじゃん。


おもいきってずっぽり脱いで、そのまま頭からかぶせてやろうかとも思ったが、そんな奇策はやらないほうが無難だなと我に返り、ついにおいらは決断した。


歩きながらジッパーを下げて、ささっと脱いだ。


なかなかの手際の良さだったと思うが、「ほい」と一声だしておねえさんにパーカを手渡そうとしたら「大丈夫。風邪ひくから着てな。」と返品されてしまった。


こんな恥ずかしいことはねえ。と想像していたけど事が済めばなんてことはなかった。数歩先ではそんなこともありましたっけとすっかり忘れていた。


男の成長も女に負けず劣らず早いんやでえ!


ことの顛末としてはさりげない男女の日常にある一風景でしてドラマティックなどこれっぽっちもないのだけれど、世のおねえさんがた年下の男は背伸びをしたいもんなんや大人の男へ成長していく過程で手渡されたパーカはただのパーカやない。


十代のころから着ていたパーカそれは皮だ。大人に脱皮しきれていない少年の皮だ。(キモイ。もうちょっとええたとえないんかい!)


「俺はもう保護されなくっても大丈夫。どうぞ使い捨てにしてやっておくんなさい。」てなもんだ。


そんな脱ぎきれていなかった少年の皮を手渡されたあなたは選ばれた女(ひと)だ。


「対等でいたいんやんけ、われー」


どや?もう一皮むいてくれる気になったかの?

DCブランドからUNIQLOへ、そして女性の質は向上した模様


氷河期せまるバブリーな時代のファッションはデザイナーズ&キャラクターズブランド略してDCブランドが世の中を席巻していた。


時代は平成になっていたが、まだその名残は強く残っていてわたしがさり気なくパーカを着せられなかった一つの理由はそのブランドにこだわった一面もある。


「そんな無印パーカなんて着させないでよ。」なんて拒否のされかたをしたらさすがに気持ちが滅入ると弱気になったからだ。


おねえさんはそんな人ではなかったが、世の中がそれをゆるさない空気を漂わせていた。


(ここに一首いれたい。)腹がたつおんなは忘れないな。


時代は変わって令和の今、若者たちからブランド信仰は消えてしまったようだ。


うらやましい。


バブリーおんな(たぶん君たちのおかあさん世代。)の最低っぷりったらなかったぞ!おじさんなんてパー券(パーティ券)を買ったはいいが数時間待ち合わせ場所に放置された挙句ドタキャンくらわされたり、(だってカッペなんだもん。)とにかく勘違いおんな(ブスなのに)が湧いていた。


(ここにも一首いれたい。)階段の半ばあたりに座るぽっちだった。


だから雨除けのパーカもブランド品限定の魔法がかかっていないと着てもらえないという呪われた暗示に惑わさていた。


今はそんなつまらないことに惑わせられないで互いに感情のまま現実的に行動できるのだから素敵だよね。


だからね令和のおねえさんは「大丈夫」なんて言わないで、お願い。


※ちなみに上記の歌風は自分の好みではありません。


出来不出来は横に置いとくとして、「会話体と口語体」一般読者にもっとも馴染みやすい手法だと思うのでしばらくは軟派調でいこうと思う。

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