ウリナラファンタジー
歌人が専門家だと?笑わせるなと思う。
時はバブル絶頂期の1989年とある。この年「新潮社」よりあるトンデモ本が世に出された。
執筆者は佐藤まなつ、北村まりえ、榊原由布、高野加津子の四氏で著作者名はこの四者の氏名から一字づつとって「藤村由加」とされた。
その著作名を「人麻呂の暗号」という。「サラダ記念日」が出版されてから2年の歳月が過ぎていた。
「男はつらいよ寅次郎サラダ記念日」上映から一年で個人的には絶妙なタイミングだと思う。
世は短歌ブームだ!
その著作「人麻呂の暗号」とはなんぞや、万葉集は朝鮮語で読み解けると主張する驚愕の内容だった。
刊行後からまもなくしてそれに異を唱える偉人がぞくぞくと現れる。
ウキペディアには三者の学者さんがそれぞれ紹介されています。
一人が中西進氏一人が西端幸雄氏一人が安本美典氏である。
三氏とも歌人ではない。(もしかして短歌をたしなんでいらっしゃるかもしれないが、しらん。)
ここまで読んでくれた方ならなんとなくお察しかもしれませんが、「おい歌人おまえら何やってんだ?」でしょ。
それでいて彼らの最終目標は宮中なんだろうなと思わせる。
歌人が短歌の専門家へえーそうなんだあ。印象操作って怖いよね。
てか歌会始の選者を見たら●●かった。宮内庁批判をたまに見るけど、どうすんのこれ。
学者に学べ。名作におぼれろ。
創作者なら無位無官無派閥はあるべき姿勢だと思いますし、それとともに無名有力でありつづけることこそが本物の証だと信じている。
だから創作者に習うなんてことは本来ほとんど可能性がある話ではないのだ。
あるとするなら所謂「見て習え」の世界となるだろう。あなたに必要なものは本物を呑み込める「才能」だけだ。
もしも、あなたに師匠と呼べる存在があるのなら、大方それは指導者である。
指導者であれば有名であるでしょうから沢山の弟子を抱え、それらを受け入れる門戸も開かれていることでしょう。
そこで質問があります。あなたが愚か者でないのなら指導者に何を求めているのでしょうか?
作品の作り方ですか?それとも名の売り方でしょうか?習えるのならそれも良いでしょう。
で、それは実用性を伴うものでしょうか?
世の中に効果を発揮するものでなければ自慢のそれらはすべてゴミです。
指導者には周囲までも輝かせる威光が威厳が絶対不可欠と言う事です。
あなたの師匠にそれはありますか?
指導者として師事するのであればその道の専門家が唯一の選択肢になるはずです。
だって専門家以外とはつまり門外漢ですからね。
あるいは現場にいることだけを存在の拠り所にした好事家なり趣味人です。
どうして贋者に作品を輝かせる力があるでしょう。
習うなら成り上がりより学者でしょ
その道で生きていこうと決意して学問を究めてきた人と、きっかけは文芸誌の新人賞でしたなんて人とが志を同じくする者と言えるのでしょうか?
わたしが教えを乞うのなら躊躇なく前者を選びます。てか選択肢ねえじゃん。
物書きとしてなら人生経験は豊富な方が書き物に奥行きがでてきていいだろうとは思うが、指導者として仰ぎ見るなら頑固一徹一本筋が通った人がいい。
単純に欲しいのは知識であって疑似体験ではないからね。
無駄話はいらない。必要なものを必要なだけ最短で授けてくれる人が理想の師匠だ。
そんなわたしの理想の師匠像にもっともちかいのは歌人ではなく学者になるわけです。
まかり間違っても蘊蓄がたりのインテリ歌人ではない。
人それぞれ人生に事情があるのは当然ですが、一度学者の道から外れた人が新人賞から再起を図るというのも奇怪な話でして、指導者として生きていくのであれば何があったとしても学校に在籍して学問を貫かれていたのではないかと疑念を抱かずにはいられないのです。
再起のきっかけが出版屋の新人賞そして今では短歌結社の幹部ですとかね、これはないでしょう。
残念ですが、どうしても拾われた感はぬぐえませんね。
インテリが自慢なのに自分を安売りしすぎだろ。寺子屋の坊主みたいな地位にうかれていないで歌集を売れってばさあ。
いや俺は指導者だ未来の歌人を育成し導いていくという覚悟と自信があるのなら当たり前に復学でもして、その学びを広めたほうがよほど後進のためになる。
ところで現在指導的立場にいる現代歌人様の同窓生のみなさんは彼らをどのように見ておられるのだろうか?
とても気になります。
なかには学問の道を貫かれている方もおられるのではないでしょうか?
新人賞に縁がない無名の学者さんと新人賞受賞者で趣味に生きるインテリおやじと、あなたならどちらの指導を仰ぎたいですか?
一人二役を完璧にこなせる才人であれば、そりゃあ素晴らしいのですが現実はそう思ったようにはいかないものです。
かたや指導者として、かたや創作者として各々が得意分野をのばして生きていくことが誰にとっても理想ではないだろうか?
そしてわたしのようなおバカさんは適材適所でそれぞれを使い分けていくのが合理的な生き方だと考えるのでした。
爆誕ジェネリック歌人 歌人から先生になる人たち
これはそうとう恥ずかしい。
このような生き物を尊敬するという若者が一定数存在していることが嘆かわしい。
反対だろ!
先生という職業を足掛けと言っては申し訳ないけど、作家さんや絵描きさんなどを目指している人の中には先生を生業にしている方は多いよね。
でまあ苦節何年かわかんないけど、めでたく作家さんとしての第一歩を踏み出されていく方がおられるわけです。
「でさあ、作家じゃ食えないから一度先生やらせてよー」なんて奴。オファーがきたらハアハア言ってそうで嫌だろ。
先生も歌人もどっち側の人も侮辱しているとは思わない?
こんなのが世の中に増えていくとさ上述した立派な学者さんに擬態する奴も現れるわけよ。
これってとても危険なことだと思わない?
その世界に関心が無い人は先生が先生となっていく過程とか深く考えないからまんまと騙されるんだよね。
それってさ後発医薬品ではないけど低コストで効き目がある毒薬ができあがっていくようなもんだろ。
そこの学歴厨おまえはどう思う?あっごめん。とっくにラリってるか。