それ恋歌ですか?意外と大事!恋をしてから短歌をやろう。

2020年7月30日

短歌 恋愛



おっさん恋と恋歌を語ってみる。


俳人、歌人になると和装になる人は多い気がする。


さあどなたか和装にまつわる淡い恋物語など披露していただけるご婦人はおられませんか?


おられないならわたしの知り合いの大おばあさんのお話でもお聞かせいたしましょう。


御年九十二令和2年の現在も現役投資家として大金を握る元院長婦人はよく喋る。


大おばあさんがある雨の日わたしの母に元院長との思い出話を語りだす。


旧帝大医学部卒と頭脳明晰で医者一族の家に生まれた元院長はその知性が冗談のように思わせるほどヤクザな遊び人だった。


なんせ大おばあさんが株で大儲けをした日に「医者をやめて投資家になる」と言って離婚騒ぎをおこすぐらいには世の中をなめていた。


そんな元院長だからあたりまえに女遊びもやらかした。


遠いむかしの夕暮れ時だったと大おばあさんがつづける。浮気には気づいていたものの相手がどこの誰かもわからずやきもきする日を過ごしておりましたが、その日ついに現場を押さえることに成功する。


お節介なと憤りつつも噂に聞いた町へと足をやりますと、橋の向かうから和装の女と男が連れ立って歩いて来る。


遠目にもよくわかる長身の男はまぎれもない自分の旦那様でありました。


仲睦まじそうな二人を目にするや和装の奥さん下駄をからころリズムも速く二人のもとへと急接近。二人の眼前に立ったかと思ったら履いていた片方の下駄をすかさず手に持ちパッカーン。


橋の中央で額に手をやったのは日本髪に結われた浮気相手の方でした。


絵になると申しますか、なんとまあ風情ただよふ浮気現場でしょう。


不謹慎とは知りながら同じ浮気で痛い目を見るなら斯くありたいものだと憧れてしまいます。


さて、和装の俳人、歌人さまがたにおかれましては情緒や風情をどのようにお考えでありましょうかね?(現代歌人様お断りブログなんだけどね。)

あとさき考えないのがおんなの本領 そこに恐れる痺れるマジ惚れる


下駄で相手を叩く。ましてや若い女の顔である。


被害者がどれほど罪深くてもやっていい事とわるい事があると人権派が喚き散らかして巨額の賠償と誠意ある謝罪を要求されるのが現代である。(おっきいばあちゃんセーフ!)


今と言う時代は人権屋さんによる訴訟ビジネスなどが蔓延していてもはや深みのある恋情などが紡がれていく社会的素地は失われているのです。


夢想家で傲慢で鼻持ちならない人権屋さんによる現代の理想郷それは彼らの心の中をそのまま具現化したように狭量で凶悪で欺瞞がひどく欲にまみれた世界だった。


そこに生きる我々の中には妄想がいきすぎて刃傷沙汰に及びかねない者もいますが、残念ながらそれは創造には向かわない。


抑圧された社会の壁と壁との間隔は罪から逃れるにはあまりにも狭くて近い。


距離を置くことも考える猶予もゆるさず暴走は一瞬で罪にかわる。


とめどなく罪人を生み出すこんな世界に捨て身の恋は身の破滅でしかない。


恋愛感情が暴力を誘発させる原因になるのなら、それを抑止する方法は自分たちを騙し騙し破局までの期間を愛欲に溺れながら幸福感を得ていくことだ。


君たちはまだまだ若い。満足に足る頃には恋など忘れ去っている。


もはや恋敵を下駄で叩くなんてことはありえない。


時代が違うから如何ともし難い事ですが、訴訟リスクなんて意に介さず恥も外聞もなく自尊心もかなぐり捨てて感情のままに自分がこの男(ひと)の嫁だと強く主張するその姿勢に恐れる痺れるマジ惚れる。


原動力は明日の生活なんだろうけど、その必死さが愛おしい。


「あんたと一緒に生きていくのはわたしでしょ。」なんて言われた日にはわたしのごときボンクラでも目が覚める。


女性の自立が叫ばれる昨今では男はえんえん夢うつつの恋愛世界を彷徨っていくのでしょうねえ。

短いトンネルをぬけるとそこは長いトンネルだった 


男女平等の大義の下に不誠実な浮気男はあっさり捨てられてしまうのが今どきの恋愛事情でしょうけれども残念無念そこには探し求めていた恋物語などございません。


それはいつか来た道、デジャヴのようなもの。相手が変わっただけで結局はいつもの恋愛行路をトレースしていただけなのです。


多くの人は恋愛とはこんなものだと同じことの繰り返しをして、ある年齢がきたそのタイミングで見つめ合っていた二人が互いに手を取り妥協するのです。


そうして後に彼らは言います。「本当の恋がしてみたかった。」


たとえばそれが恋人たちの憧れである有名人であれば「恋多き女」と喧伝されたあげくに暴露本などという品性下劣な一冊にまとめられて赤裸々な性行為を主軸に語られていくわけです。


諧謔(ユーモア)もなければ情緒(エモーション)の欠片もありゃしない。


しかしこれこそが今どきの恋愛模様なのです。短歌にもエロティシズムをテーマにした作品があるようですが、行為に皮肉をまじえておもしろおかしく書いているだけのものなら元より解釈のしようがないのですからパラノイアによる肉欲短歌とでも改めた方がよい。


疑似恋愛の果てにあるSEXと言うかSEX目的の疑似恋愛なのだ。


恋愛ジャンルに数えることがそもそも間違っている。

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