現代歌人様だけしか知らない現代短歌に市場価値がないのは当たり前です。
人生百年時代と言われる昨今ですが、現在出版屋の第一線でご活躍されている方というのは九十歳男子とか九十歳女子と呼ばれる方が多いのかな?
無能とまでは言わないけどさ、もしかしてやや呆けが始まっているのかなと思わせるようなご年配を想像させる発想なんだよね。懐古趣味ってのか、依怙地ってのか、手詰まりってのか、頑固さだけは伝わる。
今さら、プロフィールとか受賞歴とか上っ面を整えただけの実績を書き並べて歌集が売れるもんなの?
そんな文句が通用するのは今どき専門書ぐらいでしょ?受賞歴を掲載するならそれに並行して受賞作品も公開しましょうよ。
受賞者ご自身が自前のブログで全公開してくれるのもいいのだけど、たとえば所属結社をあげて取り巻き連中が奮闘してもSEOが壁になって立ちはだかると思うんだ。
そもそも、そんなに気前が良くて、自分に自信がある現代歌人様がいるとは考えられないし、一般人から指名検索されるほど知名度があるはずもない。
これはやっぱり、凡歌を秀歌に化かすほどの力をもつ伏魔殿こと出版屋の仕事だと思う。
その受賞作が短歌普及の一役を担う名作であればベストセラーまでの布石として宣伝効果も抜群ではありませんか、出し惜しみする理由がない。
あれはいつ頃だっただろう。
もしかしたらインターネット接続すると、ピーとか鳴っていた時代だったのかな?
ネット上に角川さんが角川短歌賞受賞作品を掲載していた覚えはないけど、短歌研究新人賞受賞作品は一部読めないものもありながら、ほとんどの受賞作品は出版屋ホームページに掲載されていて誰でも無料で読めたはず。いや読めた。
今はどうなのでしょうか?(読めるのならば現状維持で夜露死苦。)
じっさい現代歌人様の歌集なんてよほどのものでもないかぎり誰も買わないんだからさ、自称登竜門を潜り抜けた受賞作品ぐらいは全作ネットで読めるようにしておいてほしい。
このネットのご時世では現代歌人様が歌人としての信用を得る為の最低限のマナーだと思いますよ。だって、歌集が売れないのだから。
でもね、受賞作品が読者に良い刺激を与えてくれるものであれば、歌集そのものに興味をもった読者が増えて購買数もあがります。少なくとも、わたしは買いますよ。販売部数数百とか短歌ファンの涙を誘うような歌集なら一部でも増えるのは大きな成果でしょ。
ねっ、過去に出版された多数の歌集が証明するように、受賞作品を掲載しようがすまいが売れないものは売れないんだからさ、新人賞はじめあまねく短歌賞受賞作品は惜しまず思い切りよく無期限でネット公開すればいい。
歌人としての評価はともかく、人としてはそうしたほうが作者に対して読者からの印象がいいし、それでこそ正々堂々としていて読者にもやさしい紳士的な対応というものだよ。
※アドセンスせえよ出版屋。
売れないという言葉の意味は、その作品が人目に触れる機会が無いに等しいという事です。
そりゃあさ、世間が大注目している賞や文芸ジャンルならプロ要件を満たせるだけの読者数を獲得していくであろう作品が受賞しているのかもしれないけど、一般人のほとんどがそんな賞もあるんですねと応えるようなマイナー業界から有望新人「ドヤっ」と言われてどれだけの人がその受賞作品を知ろうとするでしょう。
上述したように賞それ自体に読者の購買欲をそそるだけの魅力があるわけでもなく、それが証拠に歴代受賞者の歌集だってぜんっぜん売れていない。
この言葉の意味が理解できますか?
こういう問題はさ、根本原因を探っていかなければいけないのだけど、言葉の表層だけをなぞる自称高尚な文芸指南者さまがひやかし相手にイキって浅いところを語りだしちゃうんだよね。
作家に憧れ、作家を目指してなれなかった先生とかにいそうなんだけど、低俗の意味さえ理解していないんじゃないのかなと思う。
作家はバカを相手にしないけど、先生はバカ(自分より幼い人とも言う。)を相手に食っているから性分なのかな?
話がそれたけどまあいいや。
一時期パラドックスなんて言葉をよく耳にしたが「芸術と金(欲)」「人気と実力」など二律背反した関係を持ち出して僕えらいんやぞアッピールしている分には、引っかかってやんのと笑えるからいいんだけど、そもそも指摘するべき論点がずれているのは困るんだよなあ。
そこじゃないから。ご命題は一つなんよ!
放っておいても売れに売れる歌集なら受賞作品は目玉として非公開でもかまわないのかもしれませんが、現実は売れないんだからいつ出すの、今でしょ!
作品を知っているのは自称歌人の身内だけで、世間の人は誰も知らない大賞ってあなた、歌人としての実力(価値)が世の中に認知されるかどうかの最終判断を読者層から問うこともなく、その責任から逃避または放棄しているようなものです。
これは、あかんやろ。
おもしろいよね。歌集が売れるなら受賞作なんて公開しなくてもいいんだよ。売れないんだから出すしかないでしょう。
証拠も出さずに「ぼく歌人」はまずいよね。
だけど、これだけ言っても売れるために目玉作品(受賞作)は出さないんでしょ?なら歌人としての集大成でもある歌集出版にこぎつけた暁には沢山の人目に触れるように売れっていうのは当たり前でしょう。
ここで互いの利害は一致しているわけだしね。
自称高尚な現代歌人様に読解力を期待していいものなのかも不安になる今日この頃です。
てか、そもそも現代歌人様お断りブログでした。
※余談ですが、東欧にはいろいろとツッコミどころが満載の乗り物があって笑うのですが、ダンボールだか綿だかを材料にしたボディをまとい、エンジンの上に燃料タンクをドカンと担いで平然と町を流すトラバントという乗用車があります。スペックが貧弱な暴走車って、ネット掲示板で行き詰って空ぶかししているポンコツとかぶるんだよなあ。
でも、日本産焼き芋トラックこそが最強。ぶぶwwwぶぶwww黙れトラバントwwwぶぶ
歌人なら短歌を知ってもらいたい。歌人でないなら短歌を知られたくない。
現代短歌が世の中に普及していかない理由を考える時いつも思うのは、現代歌人様自慢の作品が一般読者の目に届いていないということだ。
これについては公開した結果、新規読者に希望を生む可能性と失望させる可能性のどちらもはらんでいるので事の良し悪しを断定することはできませんが、現代歌壇の重鎮たちの思惑はこれとは別にあると見ている。
では何故このように歌壇が読者から孤立を深めるような状態をいつまでも放置しているのか?
最大の理由は現代歌壇に大きな影響力をもつ支配層にとって現在の状況が自分たちに都合よく居心地よい状態に傾いているからでしょう。
外部から短歌の実力(選と作歌の能力)を問われない。これに尽きる。
読者に提供される作品の評価がことごとく低いものであれば、作者だけでなく選者の質も問われていきます。
行き着くところは現代歌壇の存在意義です。
ところが作品が知られなくて済むのであれば立場を危うくする危機は回避できる。
単純な話だよ。でも、ことの本質はこのへんにあると思うよ。
なぜなら、彼らが望めば現代短歌を世に問う方法はいくらでもあるからだ。
先にも書いたように出版屋に掛け合うのも一つの方法だ。出版各社のホームページに受賞作品の掲載ページ追加を交渉すればいいし、それぞれの受賞者が嘆願書でも用意すればいい。
それから、世の中には(今は)売れていない隠れた名作が存在しているのも事実だろう。もしかしたら現代歌壇にもお宝が眠っているのかもしれない。しかし現状では糞と味噌がまじぇまじぇにされている不潔な状況にあり、このような歌集が一般人の手にとられる機会さえないのである。
可能であるなら糞と味噌を選別する意味からも名作同様に売れない凡作も世間にさらしたほうがいいに決まっているではないか。
ところで、名作と凡作の選別は誰もが思うほどに難しいものではないよ。
読まれるか読まれないかに尽きる。そこに必要な人材は代表歌ひとつ出せない評論家もどきなどではなく静かな読者である。
ちなみに、そっから先は学者さん。
歌人の使命は沢山の人たちから短歌に興味をもってもらうこと。自称歌人を繫殖させることではない。
えっ、短歌総合誌を買えだって、「短歌なにそれ?」な一般人にもそれを言う?
歌壇の兄貴だか親父だかがどんだけ短歌は売れない、売り物ではないと主張してきたと思ってんだ。
それを今さら反故にして「買え」はない。
それに、歌壇の一角を担ってるっぽい短歌関係の組織から公表されている運営理念ってのか社是ってのかを見ると、大体どこも同じような事を言っていて「短歌の普及と後世への伝承」を大義とされている。
それが自称歌人を繫殖させるという意味なら「結社会員が増えました。協会員の世代交代がはかどっています」の意味は通るけど、ずいぶんと私欲にまみれた了見の狭いおつとめやのう。
そこで秀歌、名歌が生み出されているならまだしも、行き場を失った作品群が人目に触れもしないで溢れかえっているだけなら、自分とこの巣がパニクっているだけで、おっしゃるところの短歌のすそ野が広がっているわけではない。
恐れ多くも現代歌壇の重鎮がこのように感じていないとしたら、そら恐ろしい。
※自称歌人なんていくら殖えても歌壇以外では誰の目にも触れることがないケツ拭き紙をばらまいているようなもの。そんなものに担がせているとは、張りぼてとは何を指して言うものかは、言わずもがなである。
ただただ現代歌人様のおごりを感じる。
日本学術会議と呼ばれる左翼の巣窟
反応がめっちゃ怖いから先に言い訳をしておくぞ‼
これは、わたしが勝手に言っているわけではなくて、上記のサブタイトルそのままに検索すれば、それらしい話はいくらでも読める。
その中の一つを紹介しておきます。
それは文春オンラインさんとこで読める歴史家伊藤隆氏へのインタビュー記事です。
全文は紹介しません。興味をもたれた方がおられましたら一読どうぞ。
まずは、おさらい。任命拒否をされた理由としては政府の安全保障の法制に反対したからと推測されています。そして任命拒否を受けた六名のうちの一名が伊藤隆氏の愛弟子であられたそうです。
そのような現場をよく知る社会的立場のある方がはっきりとおっしゃっていらっしゃいます。「日本学術会議は左翼の巣窟」だと。
さて、ところ変わってそんな「左翼の巣窟」を支持支援されている自称文芸集団が存在しているようです。
聞くところによると主に短歌をされているとか。
協会組織をあげて堂々と政府批判声明を発表されるほどですから、さぞや自信に満ちた立派な御仁が多く集われているのでしょうね。
協会公式ページには世間の評価どんとこいと組織構成員自慢の作品がその出来栄えを問うて公開されていることでしょう。
※「内容の是非は読者の判断におまかせしましょう」が、わたしのスタンスです。それは違うよ、この糞馬鹿野郎と怒りに震える方がいらしたら、自前のブログなりでどんどん反論してください。やったやられた大好き議論厨には悪いが、そんなこたあ、あちきの知ったこっちゃあござんせん。
自分たちにだけやさしい平和が大好きなのでしょう。( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
争いを避けて持論をつめていきましょうや。