どこかのかとうくん←わたしたち、まだ始まってすらいないけど。
弾切れの鉄砲玉が死を待つように短歌を詠めない歌人に未来はない
ところでドラえもんはなにをしているのだろうか?よくは知らないけど歌人で生活を追いすぎた印象が強い。爆弾の対抗馬はドラえもんでいいと思って見ていたからここに来ての失速はガッカリだよ。
短歌で人並みに食えていける環境が整備されていれば、デビュー当時の勢いそのままに爆弾くらいなら呑み込めていたかもしれない人材なので惜しい。
力量的には拮抗している二人なのに現代歌壇界隈ではドラえもんだけを異端者として味噌カスに腐しているように見えていた。同世代現代歌人様と見比べても彼はそれなりに結果をだしている方だし、生活に追われた焦りはあったとしても事なかれヘタレだらけの現代歌壇界隈では珍しく挑戦者だよね。
そもそもそんなドラえもんが成り上がっていく過程で選者を気取ったりミニドラ(弟子)をかこって組織の長におさまろうとか、権威主義に凝り固まった現代歌壇に踏襲していくような方向性を選択している時点で好感度をダダ下がりにする凡ミスなわけだけど、金に困ってくだらない迷走さえしなければ結果は違っていたかもしれないから食える環境ってものがいかに大切であるかを思い知らされる。
※実力者が言うならまだしも、短歌で食えないことを正義のように語っている実績からっきしの自称歌人は覚悟しておいた方がいい。短歌をつづける人間がいれば、その発言がどれほど愚かで悪意が含まれているかに気づく人も出てくるからね。いずれ自分たちの存在が社会悪だと知ることになるだろう。(情状酌量の余地なしよ。)
ところで、爆弾やドラえもんが受賞した時期の短歌賞と言えば、俵万智さんサラダ記念日の印象が強い角川短歌賞があって、一方では歌人・寺山修司さんの短歌研究新人賞他だった。
ドラえもんが角川次席で爆弾が短歌研究次席だったっけ?
それから歌集出版部数(販売部数どっちでもいいか)でもドラえもんが爆弾を圧倒しているんじゃないのかな?それに比例して世に知られた自作だってドラえもんの歌数の方が爆弾を上回っているだろう。
どちらの作風も新古典主義からは縁のない素人目線にたった作品だし、学閥に所属する二人でもない。
やっぱり「ぼく歌人」が祟ったよな。
受賞後の新作が量産できなかったのならたんなる一発屋で話にもならないけど、詠めていたのであればひたすら作歌に励んで一気呵成に物量で圧倒すれば勝ち目はあったと思う。
現状の現代歌壇を見渡してみればわかる。ドラえもんは勝たなければいけなかったんだよ。
もう一度見てみたい帰ってきたドラえもん
鼻くそをほじくりながら期待したい。
二人の周辺を見ればお互いの読者の質にはそれほどの差異はないでしょ。爆弾が相手ならまだドラえもんに勝ち目はある。
知名度と実績から言えばぽっと出のまま錆びついた鉄砲玉(取り巻きともいう)など軽くかわして爆弾とうち合える数少ない現代歌人様なんだから、我々としても自慢の代表歌さえ無い鉄砲玉の放言など軽快に避けてドラえもんの再登場を願いたい。
一般人にしてみれば流れ弾に当たるなんて迷惑なだけだからね。爆弾vsドラえもんにだけ注視して勝負の行方を楽しめればいいと思うんだ。
錆びついた鉄砲玉にはそのへんのエンターテイメント性を理解してくすぶっていていただきたいのだが熱くなった鉄砲玉は弾けるんだろうなあ。
しみったれた小競り合いなど見たくない。見たいのは互いを焼き尽くすような大将同士の生き残り合戦なんだからさ、子分同士の代理戦争とか、他人の迷惑も考えないで現在売り出し中って空気が駄々洩れのドンパチはガッカリなんだけどなあ。
そういう出しゃばった愚行に走るから自分家の大将の思惑まで露呈しちゃうんだよねえ。
いくら爆弾とは言っても鉄砲玉の量産が過ぎる。これは現代歌壇を不快な集団にした最悪と言えるような失態の一つだよ。
たとえ無自覚だったとしても、自分の存在を脅かす心配がなさそうなガチャをあれだけばら撒いちゃうとさ、力がありそうな人との生き残り合戦を避けたいという救いがたい心底が見え隠れしてしまっていて情けなさを感じるんだよなあ。
将来性GUN無視じゃん。
それがまた受賞者という肩書を持たす立場にいるだけに、ドラえもんより爆弾の方がはるかにたちが悪いよね。
いなけりゃいないままの方がまだマシなのに、今まで世に送り出した受賞者で一般人に影響を及ぼすような歌人が出たの?結局はドラえもんとこの「ミニドラ」と似たようなもんなんだろ。とっ言うかさ「あれって短歌なの」と人を食ったような作風が短歌とマッチした次代の感性と本気で思っているのなら、学者をうならせるだけの論拠をもってそれを証明してほしい。でもって学者さんはバカにでもわかるように解説してほしい。
だってさ、今の新人歌人様ッテ短歌ファンからは無視されているか不評を浴びているかのどちらかでしょう。
現代歌壇に生きる現役選者様の感性が一般読者の感性に劣るなんてありえないもんね。
でも何がいいんだかわかんねえんだよ。
上を見たら真っ赤っかで下を見たら学芸会。これを現代歌壇というならそうなんだろうけど。
お粗末様でした。としか聞こえない。
暗黒の現代歌壇をパット明るく照らしだす花火になるわけでもなく、ただ爆弾を照らし援護するためだけの火薬として渇いたカバンの中で活躍の日を心待ちにしている過去の受賞者たちがいる。
新時代のおとずれを告げるそよ風にさえ恐怖する。そんな風前の灯火のように不評一つで今にも消し去られてしまいそうな彼らにも生命の火を灯してあげましょうよ。
やっちゃえ、おっさん。
爆弾の尻に火をつけてやるだけでつぎつぎと引火していく火薬たち、その断末魔の如き唸りをあげた爆風は読者が抱く現代短歌への迷いを一気に吹き飛ばすほどの勢いとなって厄介な地雷原(現代歌壇界隈)をも更地にするwww
ドラえもんが勝つということはそういうことだよ。大量の新作を引っ提げて帰って来いドラえもん。
注:ドラえもんは犬じゃないんだから群れたらダメだよ!
それドラえもんではなくてトンチャモンだから
ネットを見ている感じではここ最近の新人をお選びしている主犯は爆弾を筆頭にした次世代のエースたちって感じの皆様のようだけど、何がおもしろいって、一般人から出ているそれら受賞者への批評に散見するのが「ドラえもんの劣化版」という声。
今、現代歌壇でもてはやされている歌風はと聞くと「かんたん短歌の成れの果て」なんて言われ方をしているのが大半なわけだから爆弾はドラえもんをリスペクトしているのかな?
それとも心の友だったりしてwww
かく言うわたしもドラえもんの作品は嫌いってわけでもない。(わかりやすさは正義だ。)
解説抜き、解釈不要で楽しめてこそ現代短歌の魅力があるってもんだ。
そんな爆弾とドラえもんから学ぶことがあるとすれば、表現における幼稚さとは何たるかを知ることかな。
仮にこの二人がフュージョンした姿を想像したらごくふつうの幼稚園児が目の前に現れることでしょう。
岡本かの子さんのボンボンである太郎さんは「こどもは天才だ!」とおっしゃいました。
そのへんの感性を大人になっても、お二方とも維持されていたのでしょう。
ただ残念なことにその感性は表現者として一方に偏ってしまい文学的才能として昇華されることはなかったのだと思う。
一面特化では技巧と思考のバランスがとれた才人(ホンマモン)とは成り得ないのだ。
現代歌壇の閉塞状況を打開し暗黒時代を終わらせるためには爆弾とドラえもんの衝突は必要不可欠なエンターテインメントである。
「芸術は爆発だ」