〈恋に触れると誰でも詩人になる〉才能大好きなわたしですが、その才能を全否定したようなこの言葉はもっと好きです。
だってさ、現代歌人様をツンツンするのにこれほど素敵な言葉はそうそうないよ。
【女の敵は女】生かすも殺すもあちきしだいよ
現代歌壇には大きく分けて二種類の女がいる。女流歌人と品性を失ったおばはんだ。
女流と言えば恋歌。恋歌と言えば女流。それくらい歌人は恋歌でできている。
それ自体を否定する理由は別にない。
歌人としてのとっかかりはそれでいいし、そんなもんだろう。それが早熟で若くして頭角を現してきた人であればなおさらだ。
ただ、花の命は短いということを知っていることが重要だ。
花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまにと大先輩が詠っておられますよね。
これは女流歌人の戒めとしても心にとどめておくべき歌だと思います。
化粧が濃くなるほどメッキが剝がれていく女流歌人
女性上位のこのご時世そして代表的現代歌人様の性質を鑑みれば女流の一生は人間の一生であって女の一生ではないとしたいはずなんだけど、「フェミニズムだ、ジェンダーだ。夫婦別姓だ。ともだちナンダ?」と周囲が喚いてるうちに、やっていることは結婚、出産子育て、介護等。
なにをやってんだか。
出てくる歌集は毎度「女の一代記」言っちゃ悪いがこんなもんビギナーズラックで得た処女歌集(恋歌主体)による有名税(歌壇内限定)でなんとか読んでいただいていますってだけで「共感しマスタ」ママ感激の女子会でしか盛り上がりませんわな。
それでも長く舌をだしたドブガイが如き口元から湧き出るメタンガスのようなお世辞にラリッて、気を良くした当の本人はご満悦で、ガスマスク不要とばかりに書き上げた歌集の厚さも顔負けなほど面の皮は分厚くなっていく。
これぞ噂に聞くおばさん化。
嘆かわしや、公に対しては自分たちがもっとも否定したいであろうテーマをメインテーマにどっぷり浸っっちゃうんだよなあ。
わたしは思います。「それをやっちゃあおしめえよ‼」
「共感」と言えば双方に好意的な印象を持たれると考える人が多いのかもしれないけど、読者を限定してしまうという意味からも創作においては気をつけなければいけない恐ろしい罠だと思いますね。
共感に生きる井戸端歌人。これをビッグママと言う。
奥さんも歌人と紹介されている歌人Wiki
もう長らく歌人Wikiなんて拝見してはいませんが、Wikiに紹介されている歌人を閲覧すると家族紹介欄には奥さんも歌人と書き込まれた文字が目立っていた。
実際のところ夫婦歌人は多い。
わたしのイメージではどこの夫婦歌人もほぼ例外なく奥さんの方が歌人としての評価が高く旦那さんの存在はかすんでいる感じだった。
だが、世代が下がるにつれてそのイメージを覆される場合が多くなってきた。
別にこの人が悪いわけではないが、正直言って紹介されている旦那さんの存在も作品の紹介や評価より一般人が知らないような受賞歴や肩書に重点がおかれていて微妙だったりするのだが、奥さんには旦那さんのようなハッタリすらもなければ、世に知られた代表歌もない。「もうこれはあかんやろ。」とつい呟いてしまうほどダレヤネンになってもうた。
それが堂々「赤い旗」がなびいてそうな結社の人にチラホラ見られたもので、(ああ)なるほどと、短歌とは別の意味で納得させられたんだけど、これを旦那さんの七光りをまとっているように見ている人もいないとは言い切れない環境の中で、ご本人としては革命の火種となりそうな歌人人生をどのようなご気分でお過ごしなのだろうか。
この場合は女性の嫉妬深さを軽視して、オシドリ夫婦を過度に演出しながら家族を優遇しているとも受け取られかねない状態を放置している旦那さんの思慮が浅いとも言えるのだが、声高に女の自立が叫ばれる今だからこそ、ご本人様にはその心境を詠んでいただきたいものだ。
実力派女流歌人には未婚者が多い気がする 新古典派に憧れるおっさんなりよ
極論を申しあげれば、新古典派の代表者とされる紀野恵さんと水原紫苑さんとあと現代恋歌の女王俵万智さんだけいれば女流を中心とした歌壇は安泰なんじゃないのかな。(お名前ちょうだいしてごめんなさい。m(__)m)
紀野さんと俵さんは先生経験者だし、指導者としても適任だと思うんだけどね。(まあでも自分より格下を相手にストレスは溜めたくないか。)
存命のおばあちゃんたちもさすがな人が多いけど、さすがにこの先を託せる人ではないもんね。もうそろそろ往生せえや!
んでさ組織にはやっぱり本格派ってのがほしいのよ。
過去には超結社なんて存在も在ったらしいけど、今は人材不足でそれすらかなわないだろう。
イメージだけど現実を直視している銀座の高級クラブのママってだいたいシュッと着物を着こなし凛としていて知的な感じじゃん。それに引き換え地方にある場末のスナックにいるチーママときたら、15で男をおぼえたヤンママもとい元ヤン臭を匂わせながらシミーズ姿で所帯やつれ感バリバリに放ってやさぐれている感じじゃん。(昭和脳ですまんのう。)
今、仮にだけど歌壇に本格派が立ち上がったら女流は二極化して憧れ先行型の妄想族はそろってチーママになると思うんだよなあ。(笑)
独立したはいいけど閑古鳥が鳴くだけで、そっこう資金ショートをおこして看板をおろすチーママが続出となり夜逃げマラソンが繰り広げられそうだ。
弱小出版屋メダカの学校ここに迷い込んだ少女は品性を奪われたおばはんになる
ピヨピヨとおしりふりふり千鳥足で自作の恋歌に酔いしれているうちに町の小さなお池に落っこちてしまう危険は常にあるわけで、警告むなしくまんまとお池にはまってしまったら最後、見物客から餌を貰って飼い殺し。それからの日々は目の前に立ちはだかる絶壁を見上げながらじたばたと水中を蹴ることくらいしかできずにやがては力尽きて絶望の淵に沈んでいくことになるのだ。
恋の歌集を出せば誰でもが歌人として大海の向こうへ羽ばたいていけるわけではないってことがわからない人が飛べないカモになる。(つまり家禽。)
それはせいぜい一時の慰み物と言うものだ。
🐣🐣🐣🐣🐣ひよこかわいいよ🐤🐤🐤🐤🐤ひよこかわいい🦆ンガー🦆ンガー
こうしてまた一人の残念なおばさんが誕生するのでした。