時事短歌を見れば作者の実力と選者の質は一目でわかる

2022年9月26日

世間話 短歌




読まれて万歳\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/


抒情と情報とではどちらがより文芸に優先される要素かと問われた場合たいていの人は抒情と答えるはずだし、それが情緒を重んじる短歌であればなおさらその割合は高くなるはずだ。


でも「読み」とやらが歌壇に流行してからは事情が変わった。


自作で評価される以上に他人の短歌を介して情報発信すること、できること、すなわち読者として独自の解釈を披露することで短歌への理解度を示し評価を得ることが有能な歌人の証として重要視されるようになった。これは少し足りない短歌作者と読者双方にとってはとてもメリットがある作法であることはわたしも認める。


インテリ同人とマンセー会員だらけの現代歌壇ならよりその効果が高いであろうことも容易に想像できる。


そういう意味では主宰という絶対君主的な存在がヒエラルキーの頂点に君臨する短歌結社もろもろとしては地位存続の為の手法としてもおおいに役立ったのではないかと推測する。


簡単な話「下剋上は阻止された。」こんなところです。


下はひたすら読まれるために作歌をして、上はなんでしたっけ「純粋読者」だったかな?詠みもしないで読むに徹する人として歌壇に居座るんでしょ。


でも、そのような存在を歌人と呼んでいいものなのかは疑問に感じる。


ふつう他人の作品を評する選者クラスの歌人ともなれば、少なくとも後進にお墨付きを与える立場へと至る過程で、それ相応の作品をもって評価と支持を得てきたはずです。ところが「純粋読者」というのはそういう存在ではなくて、短歌実作者としての評価をすっ飛ばして「ぼく大歌人」なわけでしょう。


断じてあり得ない。


その糞度胸だけは大絶賛させていただくけど「純粋読者」には歴代短歌結社主宰のように鋭意培ってきた独自の表現技法や先人から継承した作法など歌人として後進に伝承していくものなんて何もないわけじゃん。


当然そこには作品に惚れて集まった人よりも、ただ文化人面がしたいだけの連中が多くなる。


つまり短歌結社主宰としてふさわしくない人が主宰を引き継いだ結果、その重責と下からの突き上げに耐えかねた苦肉の策として生み出されたのが「純粋読者」であり「読み」なのだと考える。


価値観のすり替えだよね。これはマンセー会員が豊富な現代歌壇だからこそ成しえた奇策だろうね。


これを発案実行された方はある意味では時代の寵児だったと思う。


歌人として名のれるほどの作品や実績は無くとも、社会的地位が高い上級国民同士が公害級の雑音の中で名歌の一つもまじえながら誉め合えば、何を言っているのかもわからないおバカさんはマンセーするしかないもんなあ。


こうしてますます雑音デシベルが大きくなっていくことで、外部からの反論が短歌愛好者へ届きづらい状況が形作られていき、歌人とも呼べないような歌人が歌壇から量産されつづけることになる。


結社短歌は今やそのための道具でしかない。


重要:こちら現代歌人様お断りブログではありますが、それを知らずに不幸にも上記記載の駄文を目にしてしまい訴訟通告発動じゃあと興奮される方がおられた場合についてです。お望みであればコンスで出迎えジャンピング土下座でもして全力で謝るからごめんしてねえ。(ただし、その場合は動画撮影と公開の許可をいただきたい。現代歌人様に謝る俺氏ガッポガッポや!)まあでも、悪意はないのでガンガン反論して笑いもの程度で済ませてくれるとありがたい。

景色が見えない人には想像力も表現力もない


会社には社是があり、社員はそれに従って仕事をする。立場が外注であれば会社の思うがままだ。


そのカメラ誰が見せたい世界でしょうか?


運営の体質がそうさせるのか明確な理由はわからないけど、新聞歌壇の投稿入選作品には社会詠(時事短歌)が目立っていた。


その内容は報道されている世界から切り取った一場面にその時に感じた想いなどが詠みこまれているものが多かった。


9.11であったり3.11であったりがそうだった。


それを見たわたしは彼らに他人を思いやる気持ちや自分の世界観というものはないのだと思った。


新聞歌壇よりもさらにひどかったのが過去に見た短歌総合誌で、やめときゃいいのにそういうものにかぎって連作にしていたりする。


その時の感情というものが大事だというのはわかる。でもそれは他人の目を通した景色から感じた感覚で軽薄なんだよ。


表現力が無い凡愚は情報を求めて見たまんまを書き写し、読む側にいる選者は情報量が多い駄作ほど筆が走るので精神的な疲労を感じることもなく持ちつ持たれつの良好な関係が成立しているというわけだ。


あるがままを書くことが写実だと?このアホが。

人としての人情と歌人としての本能と指導者としての資質


嵐吹く大和国にははそはのはははつるばみ拾い集めり

わたしの如き素人考えでは、自分の国の代表とも言える方が思いもよらない不運な死を遂げたなら、せめてその死を悼む手向け歌をもって今生の別れとせむと作歌に励むのが歌人としての本能ではないのかと思うが、(とくに宮仕えは)現代歌人様は歌人としての本能までも失ってしまったのか、もともとから無いのか、それならそれでかまわないが黙ったままだ。


だが一方では朝日川柳で問題視された掲載句のように政治家を侮蔑嘲笑した愚作は新聞紙上に後を絶たない。


投稿者ご本人さんたちは選者共々悦に浸って気づいてはいないようだけど、これは対象とされた政治家だけでなく、川柳までも貶めていることだとは理解していないようだ。


そしてこれと同じような指摘は残念なことに朝日歌壇においても度々あった。


このような愚行を止めさせるためにも市井の声を拾い上げる立場にある方たちは率先してお手本になるような哀悼歌を出詠されればよいのになぜだかどなたも詠まれていない様子が伺えてそれがわたしには不思議でならない。


あなたがた歌人が詠まずして誰が詠むんだ。


だからと言って朝日川柳のような愚作ばかりが持て囃され、それを真似た凡作が後を絶たない現状があっては言論封殺と嘆いてばかりもいられない。


限度はあるけど、嫌いな人を罵る恨み歌みたいのがあっても、わたしは別にいいじゃないかと思っている。


問題なのは恨みばかりで愛がないことだろう。それができない空気を作っている連中がいて、詠めば、否、詠めればお仲間を公開処刑するかたちになるので誰も始末できないでいる。


人としても歌人としても情けない話だ。


このままじゃ文化の衰退待ったなしです。※対策としては諸悪の根源を無かったことにすればいいだけなんだけど、この国にはお人好しが多すぎる。


憲法とか党是とかややこしいことを抜きにした非現実的な長話 ※ぼやきだから無視してどうぞ。


死んだら仏さん。


この言葉、今四十代以降の人で三世代同居していた日本人であれば爺さん婆さんの口から一度くらいは耳にしたことはないだろうか?


世に知られたよほどの極悪人でもないかぎり、自分の口で反論一つできなくなった死者を貶めるなんて鬼畜にも劣る所業と聞かされて育ってきた。


ネットを見るとまだ刑も確定していない殺人犯の減刑署名活動がされていることを知り驚いたが、そこには有名人の署名もあると知りさらに驚いた。


呼び水としてのそれなんだろうなとは思うが、それだけにそこに書かれた名簿からは醜いほどの悪意を感じる。


そりゃあ、あちらさんにはあちらさんの正義があるのだろうけど、〈七月末日現在〉事件発生からまだ一月も経過していない中でそれをやるのか、彼らに人の心はあるのかと同じ国に暮らす一人として恐怖をおぼえる。


世界には隣国の総理大臣を暗殺したテロリストや隣国の国家元首の命を狙ったテロリストたちを英雄と崇め奉る国家国民も存在しているのは知っているが、今我々が暮らすこの日本は先祖代々日本人が長い年月をかけて創り上げた国だ。


事件後のインタビューに応えていた人の多くが口をそろえるように、「日本でこんな凄惨な事件がおきるなんて」とコメントしていた様子を思い出す。


社会の安寧を願い国民一人一人の心に寄り添える日本人であるのなら、その国民性からしてテロリストが英雄になることなど断固として受け入れ難いはずである。


教訓一・選挙制度


事件直後、多くの政治家が口にしたのは「民主主義への挑戦」というものだった。


であるなら選挙制度の見直しは喫緊の課題となるはずだが、現実はそうならないだろう。


政治テロは政治家自身が招いていると言わざるを得ない。


人それぞれ政治信条も思想も違うので政治家への不満をなくせというのは無理がある。


その中でも不満を減らすことは可能だ。


まずは投票率の改善だよね。100%にすることだよ。それと比例代表制の廃止。


これらが実現すると二つの政党が消滅すると言われている。


支持母体が宗教団体創価学会である公明党と支持母体が??の共産党だ。


ご存じ公明党は自民党と連立を組む与党様です。


ここまで書いてアホくさくなってきたので強制終了。


テロリストへの手紙 あなたは奪いたかっただけなのだ


カルト教団に財産を奪われた挙句に母親の愛情までも失う。だからと言ってテロリズムが正当化されるはずもない。


一時期「民事不介入」なんて言葉をよく耳にしたが、カルト問題は家庭の問題として半笑いの警察官に一刀両断されてしまうのが現実なのだ。


絶望的なことではあるし、社会に対して失望する気持ちも理解できる。ただ、カルト二世三世その周辺の人間であれば、そのような受け答えは当然の事として受け止めてきたはずなのだ。


それなのに、どうして沢山の人の希望を奪い、絶望を生むのか?なぜ自分が味わってきた不幸を社会に拡散するのか?


人として生まれたなら誰にだって理解者を求める気持ちはある。


だが、あなたがおこなった蛮行は自分と同じく理不尽に苦しみながら哀しむ人を生み出しただけだ。


教訓二・法整備


巷ではカルトなんちゃら法がうんちゃらと言われているようだが、連立相手がそもそもなうえに、現職大臣や要職経験者が政教分離の原則を無視して血迷った漢気を発揮しちゃってんだから笑うしかないだろ。


「反社ではない」ってなあ、自業自得と言えなくもないけど、実際むかしから被害者がいるわけで、そのような不幸を生んでいる組織を反社認定されていないからそうじゃないってなあ政治家失格だよなあ。


本来なら率先してカルト対策の法整備をして取り締まらせなきゃいけない立場の人が仕事をしていないだけなのに、なにを開き直ってんだかなあ。


ふざけんじゃねえよなホント。


あとベラベラ喋ってんじゃねえよ、身を挺して恩を売っているアピールなのか、ご主人様に忠誠を誓っているつもりなのかは知らんけど、どうして適当にぼかさないんだろう。


こんなん口数多く応えれば応えるほどドツボやん。統一教会なだけに。


WGIPだったか、信教の自由もごり押しされていたよなあ。政治家だけを責めて埒が明く話ではないんだろうなあ。


それはそれとして国民の生命と財産を守るためには実行力があるスパイ防止法とカルト撲滅法は必須だろ。


※カルトの定義づけを理由に法制化困難論を展開される人もいるけど、戦後宗教法人になったとこは信者から犯罪者を出したら終了でいいだろ。それか優遇措置の全廃。はい、暴論ですが、何か?


あとできれば外国人さよなら法もほしい。めちゃくちゃほしい。だって悪の元締めはそのへんなんだから。


噂では破産した信者が生活保護に頼っているらしいじゃん。国民にそのしわ寄せがきているのなら活動十年で破綻するくらいの税金をガッポリかけてやりゃいいだろうになあ。


元総理大臣が簡単に暗殺される国「日本」


ここ日本での高齢者の定義は六十歳以降をシニアと呼び、六十五歳からは「准高齢者」そして七十五歳以降を「高齢者」とされていて「超高齢者」と呼ばれる九十歳以上の方も増えている。


安倍晋三元総理は没年六十七歳。「准高齢者」の枠にはいる。さらに以下のようなハンディも背負われていた。


安倍晋三元総理は潰瘍性大腸炎という持病に長く苦しまれてきた。


一般的には難病を抱えたご老体です。


わたしの嫌いな人たちが人間の盾として利用している「弱者」に数えられてもおかしくない一人です。


その日は選挙戦も最終局面をむかえていたこともあり酷暑のなか疲労困憊の老体を酷使しながら必死に応援されていたのだと思われます。


このような人を命を奪うための的にする。犯人はその存在そのものが凶器と言っても言い過ぎではない。


報道されている通りなら、背後から複数個の弾丸を込めた二連発の手作り鉄砲を向け至近距離から全弾発砲したとある。


警備の不備は悔やまれるけど、持病を抱えた老人の背後に接近して複数個の弾丸を撃ち込む残虐非道極まりない冷酷無比な犯人に情状酌量の余地などあるのでしょうか?


真偽のほどは定かではないが首への着弾が致命傷となり、残弾の一部は心臓を貫通していたとも書かれていたりする。


こんな残酷な殺され方をしていているのに精神鑑定って何ですか?


そういうルールなんだから仕方がないけど、犯行前に自作拳銃の殺傷力を確認していることからも、単独か組織的な犯行であるかに関わらず計画的なテロであることは明らかで殺害する気満々でしょう。


わたしが被害者家族なら「精神鑑定」をしますと知らされた時点で怒りと不安しかわいてこない。


今後メディアの印象操作により、いけない連中と関わっていた被害者こそが悪いと言わんばかりの自業自得論が炸裂して多くの愚民が被弾すれば、かわいそうな境遇のテロリストこそが真の被害者だからと無罪判決を出し易くする可能性もあるわけで、とち狂った世論は「無罪」判決を受け入れてしまうかもしれない。


そんな万が一の可能性を考えるだけでも息が詰まる。


安部元総理のご冥福を祈ると共に心から哀悼の意を表します。


教訓三・核武装


安部元総理には誠に申し訳ないが、やっぱり死んだら負けなんだ。


元同僚であっても都合が悪いことはすべて故人に責任転嫁する。政界という禍々しい世界にあっては自分に何かがあれば、その死を利用してもお互いに恨みっこなしという約束は交わされているのかもしれない。


そうだとしてもここぞという場面で切り札は使うもんだろ。釈明会見でそっこう切り札をだしてくるとか底が浅いってのか、担力が足りないってのか、伸びしろがねえのはたしかだ。


わたしごときがなんですが岸田総理大臣「国葬」は大事です。※これ正確には葬式ではなくて儀式なんですって。だから費用もちゃんと計上されている予算から出るんだってね。あと天皇皇后両陛下の国葬は憲法による国事行為として、政治功労者の国葬は内閣府設置法に基づく国の儀式に定めたんだってね、1999年二十数年前の話だよ。


増税で国民をいじめるくらいなら、おまえら元も現職も含めてわしら総理大臣になんかあったらBigな国葬やったるからなと見せつけてやる方が国民からのテロリズムに対する怒りも増大するかもしれないしテロ防止にも役立ちそうだ。


「あくまでも葬儀代と言って文句をつけるなら、暗殺した犯人に請求するのが筋やろ。それが無理ならテロ支援者かな。長らく国の代表を務められた方が暗殺されて葬儀(儀式)も出さないなんて国民の恥やんけワレー。」


そんなわけでして、どんな立場の人であろうが、どれだけ国家国民に尽くそうが、この国では簡単に暗殺されてしまうわけです。


それだったら、やられるまえにやりましょうよ。一発でいいからドデカイ花火を上げていただきたい。


外交的には問題があるらしいが、短命総理のリレーで大きいのを一発づつぶち上げてほしいわ。


日本の交渉相手といったらみんな核を持っているんだからさ、とりあえず核兵器保有いっとこか!


核兵器をちらつかせた言葉の通じない相手に素手で挑むようなこれまでの外交自体が戦中の特攻精神の名残みたいなもんなんだから、核武装して立場が対等になれば平和大好き反戦家たちだって泣いて喜ぶだろうよ。


外交の最終手段は戦争と言われているわけだから、これでもうブチ切れ必至の弱腰外交なんて言わせない。


抑止力は国益だ。


死んで当然。殺されて当然というほど、あなた方はその人の何を知っているのか?


わたし自身「わからないなら批判はするな」と自分に言い聞かせてアホを制御している。


安倍元総理大臣に否定的な意見を持つ人の最大のネタ元は新聞・テレビだと思いますが、これらを牛耳るメディアは清廉潔白にして厳正中立な存在と言い切れるのですか?


これらから聞く情報のすべてが悪だとは言いませんし、ネットの情報こそが正しいとも言いませんが、どのような人であれ世の中に影響を及ぼす立場にある人であれば多かれ少なかれ功罪はかならずあるはずです。


ところが各社メディアは結果「罪」にすらならないような出来事をさも重大事件であるかのように声をそろえて発して有力政治家を貶めようとする。


でも功罪の「功績」のほうは頑なに報道しませんね。政治経済に興味がない人からすれば、そりゃ政治家すなわち悪という印象を持たれても仕方がない。


また、これでは政治経済に興味を持つ人も増えません。


そういうことなのかなと思う。


ただ、批判をする人は、相手の功績も知ったうえで批判をしないとフェアではないよね。


ところで自民党はどうしてわざわざ愚民から非難を受けるようなカルトや反日国家に配慮をしたりするのか?


有力国会議員ともなればアホではないのでしょうから、自分の身に危険を及ぼす存在かどうかの判断くらいはできるはずです。


ところが個人としても国家としても大した利益を得るわけでもないのに、いやむしろ莫大な損益をこうむっているにもかかわらずバッサリと関係を断つことができない。


それはどうしてなのか?どこかからハンディもしくはペナルティを背負わされているとしか思えないのですよ。


つまり外圧。


たとえば日韓がこじれるのは勝手だが、アメリカの国益を損なうような真似は許しませんよとか言う話。


噓八百を並べ立てた韓国の言い分が通らないで日韓関係がこじれると、すぐさま韓国お得意の告げ口外交によりアメリカを通して韓国への譲歩を迫られると、そういう関係が戦後づっとつづいてきているので呆れた日本政府は花より実をとるようになってしまったというのが現実ではないのかな。


今マスゴミが必死で取り上げている政府とカルトの関係だって、明治憲法では国教化していた神道をGHQが国家と神道の分離をはかる「神道指令」を発した結果できた「ゆるーい信教の自由」があって、それをまんまと拡大を図るカルトの免罪符として利用され政界にまで及ぶ浸食を阻めなかったがゆえの事態でしょう。


とはいうものの天皇陛下万歳をしていた世代からすれば、朝鮮由来のカルト(ウリスト教)が後の世でまさかここまでの影響力を持つとは夢にも思っていなかっただろうしなあ。


連立相手の公明党というツッコミどころもあるし、今となっては相手の腹の内はわかっていても、無償でお手伝いしますと言われたら、いや結構ですと無下にお断りもできないし、差別だナンだで排除なんてとてもじゃないができないご時世なわけで、それならいっそ使えるところは上手く使っていきましょうとなるんじゃないの?


これぞザ・大人の対応だと思うけどね。


そんなわけで戦後に得た既得権益を絶対死守したい不良外国人を軸に職業左翼とされる連中が「戦後レジーム(体制)からの脱却」つまり独立を掲げていた安倍元総理大臣を蛇蝎のごとく嫌っていると、わたしは理解している。


それと高橋さんという偉い人が言うには、安部元総理大臣は左翼の存在意義を否定してしまったのだそうです。


わたしなんぞの言葉とは比べ物にならないほどの説得力がおありなので、お暇があればYouTubeチャンネルをご覧になる事をおすすめします。


教訓四・国軍


夏が来れば思い出す。


HIROSIMA・NAGASAKIが近くなると、政治家が核兵器について否定的な見解を述べるわけですが、それを何の疑いも持たずに素敵、優しい、正しいと称賛しているのは誰でしょう。


日本の政治家が核兵器使用について述べられるのであれば、唯一の被爆国である不幸を語るより先に言うべきことがあると思う。


なぜ、それを使った?


息も絶え絶えの時期にウラニウムとプルトニウムという二種類の核爆弾を人体実験でもするように民間人の頭の上に落とした行為こそ裁かれるべき戦争犯罪です。


原爆投下当日の死者数を見ると広島9万人、長崎5万人とあります。その日から、その年の12月までの死者は広島13万人、長崎7万人とあります。


その後も死者は増え続け両市の原爆死没者名簿に記載されている総数は50万人を超えていました。


ポチッた数字なので正確性、信憑性にはやや欠けていますが、それでも数十万人の被害者が出たことはたしかな事実です。


これね、責められるべきは核兵器ではなく、その使い方を誤って数十万にも及ぶ民間人を死に至らしめた当時のアメリカ人ではないでしょうか?


こういうデータを見て南京大虐殺とかいうファンタジーが誕生したともいわれていますね。そしてそれをさらに真似たのがかの慰安婦、徴用工問題だという話。戦争犯罪を隠したい人たちが彼らを叱るどころか、もっとやれと言わんばかりに中韓を放置するのもわかる気がする。


今となっては同盟関係にある日米両国が過去の悪行を蒸し返して関係を険悪なものにするメリットもないのですから、捨て駒を使った間接統治のような真似は止めて一喝していただきたいものだ。


ところで内閣総理大臣にも様々なお立場がございまして、法律上の自衛隊に対しては最高指揮監督権があり防衛出動といった武力攻撃のような事態に対処するのは防衛大臣ではなくて総理大臣がおこなうとなっているのです。


核の脅威に唯一対抗できる手段が核保有というのが世界の常識であるのに対して国防の要である自衛隊の最高指揮官である総理大臣が核兵器について「あきまへん。持ちまへん。使いまへん。」と言っている(言わされている)ことに違和感なり不信感なり危機感を抱かないことの方が一国民としてはかなりおかしく異常な状態だと思う。


立場上政治家がこれを言うのは仕方ない。でも、それをそのまま国民が賛辞するのはまぬけ以外の何物でもないだろう。


ついでに言うと自衛隊を国軍にする条件の一つには軍法会議をひらく特別裁判所が必要で、これがないと有事の際に民間人が各自防衛するようにという戒厳令の発令もできないそうだ。有事になれば他国に居住する自国民までも即時に動員可とした国防動員法ナルモノヲ有する某国とは大違いでそら恐ろしくなる。※うろ覚えなので確認よろしく。


日に日に現実味を帯びていく台湾有事あるいは尖閣侵攻などが勃発すれば、熱烈歓迎している数十万の人民がいつ便衣兵に化けてもおかしくないわけでして、日本の治安がいいなんて竜宮城の浦島太郎のごとく踊っていたら、気づけば真っ赤に焼けた鉄板の上という現実もありえるんだよなあ。


泡を吹くのも焼かれるのも雑魚だけにしてほしい。


注:日本国内に中国警察の拠点が二ヵ所あるらしくて、中国批判をしているとみなされたら日本国内に暮らす日本人であっても拘束拉致誘拐される危険をはらんでいるってんだから怖すぎる。


それで思ったんだけどキャッチ&リリースが対象の小者ってのも時にはいいな、できれば外道になりたいけれど。

QooQ